「ドリル優子」を幹事長に、「政界失楽園」は衆議院議長に 「参院のドン」青木元官房長官の遺言はどこまで重みを持つのか
竹下元首相の秘書
6月11日、自民党の参院議員会長や官房長官などを歴任した青木幹雄氏が死去した。89歳だった。2010年の政界引退後も影響力を保持し続け、「参院のドン」と呼ばれた青木氏は生前、折に触れて「小渕優子氏を幹事長に」と望んでいたとされるが、さらにある人物を衆院議長にとのリクエストを岸田文雄首相にしていたという。
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青木氏のこれまでを簡単に振り返っておこう。
「島根県の出身で、竹下登元首相の秘書や地元県議などを経て、1986年の参院選で初当選して中央政界へ。99年に小渕内閣で官房長官として初入閣し、翌年に小渕首相が脳梗塞で倒れた後、内閣総辞職から次の森内閣発足までの対応を取り仕切りました。その後、自民党の参院会長を務めるなどしましたが、竹下元首相譲りの“汗は自分で、手柄は人に”精神が与野党を問わず幅広い人脈を生み、参院のドンと呼ばれました」
と、政治部デスク。所属した派閥が経世会(現・平成研究会、茂木派)と呼ばれていた時代は「鉄の結束」ともてはやされてきたが、近年はまとまりを欠いてきた。
ドリル優子
「ただ、参院の自民党の結束は固いものがありました。2010年の政界引退後も、国会近くに個人事務所を構えた青木氏の睨みがきいていたということでしょう」(同)
そんな青木氏はかねて「小渕優子元経産相を幹事長に」と岸田首相に進言してきたという。
「現在の幹事長の茂木敏充氏は平成研究会のボスです。青木氏はこの茂木氏と折り合いがずっと悪く、茂木氏が幹事長になってからも挨拶すら受け付けないと言われてきました。派閥の領袖にふさわしくないというわけですね。“小渕氏を父親同様、首相に”と考えてきた青木氏は、茂木氏を早めに小渕氏に交代して欲しいと首相に伝えてきたと聞いています」(同)
結果として、その思いは青木氏の生前には叶えられなかったわけだが、岸田首相が“遺言”をどう受け止めているかに注目が集まる。もっとも、小渕氏のマイナスイメージは払拭されていない。
「小渕氏をめぐっては、東京地検特捜部が2014年に公選法違反容疑で捜査を進めていたところ、事務所関係者がパソコンのハードディスクに電動ドリルで穴を開けるという暴挙に出たことが知られています。ついたあだ名が“ドリル優子”でした。このイメージから脱却できたとは言い難い」(同)
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