広末涼子の「男選び」に意外なクセ? 人気を支える「透明感」の正体とは?

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

「俺の・私のヒロスエ論」の盛況ぶり 女優力と人気を下支えする広末の「透明感」の正体とは

 透明なものを求める男を愛し、さらには悪びれない自分をも愛する広末さん。良くも悪くも地に足の着かない空っぽさが、結果としてさまざまな役柄を注ぎ込める器となり、彼女の人気を下支えする「透明感」としてこれまで表れてきた、ということではないだろうか。

 今回の報道でも、「俺の・私のヒロスエ論」語りは実に多かった。「もとから奔放な人だと自分は気付いていた」「ヒロスエに誘われたら我慢できないのも当然」「妻の立場でも彼女との不倫なら許せる」……断片的に伝わってくるスキャンダラスな行動と、メディアで見せる屈託のない笑顔やふわふわした話し方のギャップは理屈がつかない。どこまでも透明な彼女に輪郭をつけようと、躍起になる人々がそれだけ多くいるということだろう。

 2019年のインタビュー記事では、「私生活がどうであれ、いい作品、いい芝居ができればいい」と語っていた広末さんだが、今回ばかりはそうもいかなさそうだ。不倫を認めたことを受け、CM動画の削除や映画の撮影延期が発表された。また炎上ならぬ延焼というか、かつて不倫で騒がれた多くの女優やアイドルの名前が引き合いに出される状況も引き起こしており、同業者からも「余計なことを蒸し返されるようなまねをするな」と思われているのではないか。

 思えば鳥羽シェフがNHK「きょうの料理」に出演していた企画名は「強火で行こうぜ!」。再婚した時のインタビューでは、「(夫は)燃え盛る炎というよりは、静かにずっと消えずにある暖かな灯みたいな感じ」という表現にうなずいていた広末さんだが、いささか勢いのつきすぎた火遊びとなってしまったようだ。おそらく広末さんを止められるのはメディアでも男でも事務所でもなく、子どもたちだけの気がするが、広末さんいわく「理解し認めてくれた」というのは果たしてどこまで信じていいものか。一つ言えることは、こうした世俗的な内情が明らかになるにつれ、彼女の「透明感」も煙のように消えていくだろうということだ。

冨士海ネコ

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。