立憲民主党の「泥船化」が進行中 石原軍団と闘った「松原仁」離党の衝撃
選挙区でモメて
立憲民主党の松原仁・元拉致問題担当相(66)が6月9日、離党届を提出した。次の衆議院選挙に向けて、自身が希望する選挙区からの立候補が認められなかったことを理由としているが、それをそのまま受け取る政界関係者はいない。松原氏のホンネを探ると共に、その行動にぐらつく立民内の実態についてレポートする。
次の衆議院選挙から適用される小選挙区の「10増10減」に伴って、自民党と公明党との間で意見の対立が先鋭化していることはお伝えしてきた。ちょっと事情は違うが、立民内でも選挙区調整がうまく行かず決裂するケースが出てきたというわけだ。
松原氏が地元としてきた東京3区(品川区と大田区の一部と島部)は、区割り変更を受け、新3区(品川区と島部)と新26区(目黒区と大田区の一部)に分かれることになった。
石原軍団との死闘
「これまでは、自民党の石原宏高衆院議員とのデッドヒートが恒例で全国有数の激戦区でした。石原軍団が例によって大挙押し寄せるのですが、その勢いに抗して松原氏はよく闘ってきたように思います。逆に言えば、石原氏の普段の努力が足りないのかなぁ、もう少しマジメにやっていれば毎回僅差になることはなく、今頃大臣になっていてもおかしくないのではと感じるところもありますね」
と、政治部デスク。
松原氏は新26区からの立候補を希望したものの、この選挙区での党公認を得られる見通しが立たないということで、離党届を提出。「30年近く活動した品川区を離れることは大変辛いが、断腸の思い」と松原氏は述べている。松原氏の公式コメントをツイッターから抜粋しておこう。
「大田区・目黒区からなる東京26区からの出馬に公認をいただける見通しが立たないため、大変不本意な結果となり残念です。これまで身に余るほどのご支援をいただいてきた立憲民主党支持者の方々にも深くお詫びを申し上げなければなりません」
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