宮内庁長官に批判され、記者クラブに追及されて……「雅子皇后」が記者会見をなさらなくなった歴史的経緯

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強い孤独感

 長官の踏み込んだこの発言もあって、以来、雅子皇后は強い孤独感に襲われていく。さる宮内庁関係者が明かすには、

「1993年1月の婚約内定会見以降、皇后陛下はご自身のお考えを歯切れのよいお言葉で語ってこられました。この02年12月の会見も、そのスタイルで臨まれたのですが、意に反して言葉尻を捉えられる形で批判され、挙げ句、身内であるはずの長官にも突き放されてしまった。“公の場でありのままをお話ししても、内容が曲解されて独り歩きしてしまう”といった恐怖心も芽生え、それから会見を忌避されるようになったのです」

 翌年に帯状疱疹を発症。療養生活が始まることになるのだが、11年9月にはこんな一幕もあった。

「愛子さまへのお付き添い登校を続けてこられた雅子さまは、山中湖への2泊3日の校外学習にも同行され、同じホテルのインペリアルスイートに滞在されました。そうしたお振る舞いを受け、当時の記者会は、東宮大夫の会見で『異様な母子に映る』『税金泥棒との批判を受けるかも』などと激しく責め立てたのです」(前出・皇室ジャーナリスト)

 報道陣の声を耳にされた雅子皇后が心を痛められたのは想像に難くなく、“拒絶”の姿勢をいっそう強められてしまったという。官公庁と記者クラブのなれ合いは論外とはいえ、ここまで責め立てる必要はあったのか。このような経緯を振り返っていま、当時の関係者らは何を思うか――。

 6月15日発売の「週刊新潮」では、インドネシアご訪問の意義などと併せて詳報する。

週刊新潮 2023年6月22日号掲載

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