【広末涼子不倫騒動】元マネジャーで事務所社長の責任を指摘する声 有村架純との明らかな違いも
お騒がせ女優の歴史
最初のお騒がせは、99年4月に自己推薦入試で合格した早稲田大学教育学部の入学後。なかなか登校せずに批判が集まったが、入学式から3カ月が経った6月26日に初登校、その日は取材陣が大挙して訪れ、学生やヤジ馬も集まってキャンパスは3000人以上の群集に膨れ上がった。講義終了後、大隈講堂前でマスコミ各社の記念撮影に応じたものの、下校しようとした際、報道陣とやじ馬が広末に近づこうと四方八方から押し寄せてもみくちゃとなった。
2年後の2001年5月には、心身ともにバランスを崩す姿が話題となる。リュック・ベッソン 監督による主演映画「WASABI」の製作発表会見に出席した広末は、突如号泣して会場を騒然とさせた。その3日後、予定されていた新CMの公開取材をドタキャン。翌日には、大勢のスタッフたちを待機させた挙げ句、CMそのものの撮影を放棄してしまった。
しかし、これはまだ序の口。同年7月期のフジテレビ系月9ドラマ「できちゃった結婚」のヒロインに抜擢されてからが“本番”だった。
「当時の交際相手で俳優の金子賢(46)と東京・西麻布のクラブで朝まで遊び明かした後、そのままドラマのロケ地である千葉・白浜町(現・南房総市)までタクシーで直行したことを『FRIDAY』に報じられました。4万円分の無賃乗車だったことも明かされています。さらに『FOCUS』などで、撮影現場への日常的な遅刻や、リハーサル中に共演者を待たせた上、携帯電話で遊び仲間とひたすら通話するなどの非常識な行動が報じられました。あまりの奇行ぶりで、良い噂のないクラブに出入りしていたことから、あらぬ疑惑も浮上、“プッツン女優”のレッテルを貼られてしまいました」(テレビ局関係者)
それからしばらくはおとなしくしていたが、03年12月、都内のホテルで会見し、当時、モデルでファッションデザイナーだった男性との結婚と妊娠を発表。直前まで主演舞台をこなしていたため世間を驚かせた。
「主演舞台を途中降板になったら損害が発生するので、千秋楽を迎えてからの発表となったようです。関係者にも妊娠のことは伏せていたようですね。妊娠中にもかかわらず、翌年1月に結婚式と披露宴を挙行。当然、多くの報道陣が集まりましたが、元夫のヤバそうな仲間が写真や映像を撮らせまいと徹底ガードする異例の事態に。事務所は蚊帳の外でした」(当時取材した記者)
04年4月に第1子の男児を出産したが、それから約4年後の08年3月に前夫と離婚。親権は広末が持った。その後、10年10月にキャンドル氏と再婚。きっかけは同年3月にキャンドル氏が主催したハイチ大地震救済支援イベントだった。キャンドル氏と出会う前には、俳優の永井大(45)と交際していた。再婚後は11年3月に第2子の男児、15年3月に第3子の女児を出産。ようやく落ち着いたかと思いきや、まだまだお盛んだった。
「14年2月に佐藤との不倫を報じたのは『女性セブン』。佐藤とは10年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』で共演していたのがきっかけです。記事によると、当時は2児のママだった広末が午後8時半ごろに都内の自宅を後にして、セクシーなファッションで佐藤が住むマンションへ。翌朝、佐藤とは時間差でマンションを出る姿が撮影され、不倫しているのは疑いようがなかったのですが、双方の事務所は関係を否定、2人を守りました」(前出・ベテラン芸能記者)
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