「寺の土地が岸田家に奪われた」近隣住職が告白 岸田総理の自宅に土地不法占拠疑惑
“ウチのもんなんじゃ!”
この頃、住職が五徳屋に直接抗議を行っている。
「私から土地についての経緯を説明したところ、五徳屋から弁護士が2人来て、公図やら何やらを広げて、“戦後の払い下げの時からここの土地はこっちのもんだ”ということを言われました。2回目に弁護士が来た時はがなり立てるようでした。こっちも裁判するような金はなかったし、泣き寝入りするしかなかったんです」(住職)
文武氏とも直接話したことがあり、
「取られてしまった土地に生える楠を指して“ワシが子どもの頃に登った木だから、この楠が生えている場所はウチのもんなんじゃ!”と文武さんは主張してきました。政治家だからですかね、あまりに強引な話でした」(同)
90年になると、文武氏は五徳屋が持つ寺近くの土地に自宅を建設する。それが現在の岸田総理の私邸である。その後、五徳屋は10年に解散し、廃業。一帯の土地や比治山遊園だった建物は同年にまとめて五徳屋からツネイシホールディングスに売却されたため、総理の私邸はツネイシホールディングスが持つ土地の上に立っている格好だ。要は借地である。
和解金は50万円
この土地がツネイシ所有となってほどなく、住職のもとにツネイシの社長から電話がかかってきたという。住職が続ける。
「社長が“私も同じ宗派の寺に帰依してるんです。こうなっているのは忍びないから、土地問題を解決させてください”と言われ、信心深くていい人だと思ってね。当時の寺の総代と二人で福山の会社に会いに行ったんです。そこで50万円くらいかな、和解金として払うと言われ、納得して帰りました」
すでに建物が立っており、境界線は動かすことができない。そのため、“解決”の象徴として、13年、境界線はそのままに、現在の境目に地蔵を建立することに。いまもその地蔵は寺の境界線で静かにたたずんでいる。
ただし、問題なのは岸田家が起こしたトラブルにもかかわらず、ツネイシが和解金を支払って解決したという事実である。住職の証言から本誌が“岸田家に奪われた土地”を推定したところ、100坪もの広さに及ぶ可能性もあることが分かった。その土地の現在の地目は「宅地」である。
近隣の不動産業者が言う。
「比治山周辺は駅に近く、市内では“良い土地”です。宅地であれば、坪単価80万円は下らないでしょう」
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