「寺の土地が岸田家に奪われた」近隣住職が告白 岸田総理の自宅に土地不法占拠疑惑
50年以上放置されたトラブル
このトラブル、50年以上にわたり、岸田家から何ら解決策が提示されずに放置され続けてきた。発端となったのは、岸田総理の祖父にあたる岸田正記・元衆議院議員(1895-1961)の代のことである。
広島県出身の正記氏は実業家としても知られ、中国・大連で百貨店を創業し、財をなした。彼が若かりし頃、1919年に購入したのが比治山の土地だった。
戦後、政治活動に専念していた正記氏は政界引退後の60年、同地に建てた自宅を改造し、「比治山遊園」なる施設を開業する。当時は千葉県船橋市のヘルスセンターが世間の耳目を集めていた。広島にも同様の施設を、と造られたのが比治山遊園だ。
当時のチラシなどを見ると、遊園は豪華版「健康センター」のようだ。大浴場や宴会場があり、宿泊することも可能だった。地元政界関係者によれば、
「比治山遊園は正記がやっていた大きな風呂屋でした。広島市内が一望できるし、大きな宴会場もあったから、修学旅行のバスなんかも来て、賑わっていたよ」
だが、この建設に至る工事が問題だった。
「女手ひとつで強く出られなかった」
冒頭の住職が言う。
「比治山遊園を造るときに正記さんが勝手に山を切り崩して、ウチの寺との境界線の土地をならしてしまったんです。後から公図を見比べると、遊園が一部ウチの土地を使っていたことが分かりました。向こうは地元の有力者。こちらは当時、女手ひとつで寺を切り盛りしていて、強く出られなかったと聞いています」
ところが、開業の翌年、正記氏は心筋梗塞で逝去。比治山遊園の経営権や一帯の土地を相続したのが、正記氏の妻である和子夫人とその息子、岸田総理の父である文武氏(1926-92)であった。
文武氏は東京大学法学部を卒業後、49年に商工省(現在の経済産業省)に入省している。相続したのは官僚だった時分である。
その比治山遊園は80年代前半まで当地に存在していた。が、その途上で経営者は替わることになる。
75年、遊園の経営権と建物、さらに一帯の土地が和子夫人や文武氏から福山空港株式会社なる広島県沼隈町(現・福山市)の会社に売却されるのだ。
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