没後30年「アンドレ・ザ・ジャイアント」伝説を検証 サッポロビール園で大ジョッキ78杯を飲み干したのは本当か?

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「イノキに乾杯」

 2018年4月10日(現地時間)、米ケーブル局HBOにて、アンドレ・ザ・ジャイアントのドキュメンタリーが放映された。

 アンドレは、体の先端部分が成長し続ける先端巨大症(俗に言う巨人症)であったが、既に手術や投薬でその進行が抑えられる時代でありながら、自らその治療を拒んでいたことが明かされた。

 セールスポイントである、その怪物性が薄れることを、彼自身が望まなかったのだ。実際、本人が後年、悩みを吐露したように、身長や手足は少しずつ伸び続けたが、骨の発育が体について行かず、モロくなり、ひいては激しい痛みを生じていたという。過度の飲酒は、それを紛らわすためのものだったと、番組では証言付けられている。1993年1月27日、パリのホテルで46歳で死去。死因は急性心不全だった。

 新日本プロレスへの最後の来日は、1986年。前年の10月末に新日本とWWFの提携は終了し、以降は特例で参戦し続けたアンドレも、この年5月からのシリーズと特別興行が最後に。こちらの最終戦より2日前の6月17日におこなわれたアントニオ猪木とのシングルで、アンドレは猪木の腕固めに、改名後初のギブアップ負けをしている。日付はまさに37年前のこの季節、6月17日のことだった。

「しかも3カウント(勝ち)じゃなくて、ギブアップですからね。これは凄いことですよ!」

 当時のテレビ解説で、山本小鉄の興奮した口調が甦るファンも多いことだろう。その夜もアンドレは飲酒。ただ、思いの他、静かなそれで、アンドレは、ビールのグラスを掲げ、片目をつぶり、こう言ったという。

「イノキに乾杯」(「新日本プロレス20年史」より)

 自身が、初のフォール負けをハルク・ホーガンに喫する、9か月前のことであった。

 アンドレとは、1度飲んだことがあると言う猪木。

「アゴに溜めてるんですよ(笑)」

 と自らがおどける得意のワインの早飲みを披露すると、アンドレは手を叩いて喜んでいたという。

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。愛知県名古屋市生まれ。フジテレビ「カルトQ~プロレス大会」の優勝を遠因に執筆活動へ。近著に『アントニオ猪木』(新潮新書)、『永遠の闘魂』(スタンダーズ)、『アントニオ猪木全試合パーフェクトデータブック』(宝島社)など。

デイリー新潮編集部

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