「駄目かもです」上岡龍太郎さんが晩年に語っていた言葉 引退後に見せていた“未練”
人気商売といわれる芸能界。そこで不動の地位を得ながら、突如引退を宣言して23年後の訃報である。表舞台から姿を消して沈黙を貫き続けた男・上岡龍太郎さんの余韻に、今なお人々が引きつけられてしまうのはなぜなのか。生前親交のあった人々が語る“話芸の天才”の素顔――。
その訃報を耳にした笑福亭鶴瓶(71)は、まず明石家さんま(67)に電話をかけ、島田紳助(67)への伝言を頼んだという。
今月2日、上岡龍太郎さん(享年81)が肺がんと間質性肺炎のため、5月19日に亡くなっていたことが発表された。長きにわたり表舞台から姿を消していたにもかかわらず、関西の大物芸人たちをざわつかせたことからも、故人の存在がいかに大きなものだったかが分かる。
1960年に横山ノック(享年75)に誘われ「漫画トリオ」の一員として芸能界で頭角を現した上岡さんは、関西を中心に番組MCを務め活躍。歯に衣着せぬ毒舌と、博覧強記に裏打ちされたユーモアあふれる話術で注目を集めた。東京進出後はキー局で冠番組を持つ人気者になったが、97年にデビュー40周年となる2000年での現役引退を表明。「僕の芸が通用するのは20世紀まで」と58歳で芸能界から姿を消してしまう。
そもそも人気がなければ自然に淘汰される世界で、絶頂期に自ら身を引くのは、異例の出来事だった。
「自分が無様なようにも感じ…」
「完全に引退するのって難しいんですよ。本当にテレビカメラの前に出てこなかったのは、上岡さんと山口百恵さんくらいでは」
と話すのは、「関西の視聴率女王」の異名を持つタレントの上沼恵美子だ。
「私は68歳ですから、上岡さんが引退した年齢と比べて10年もオーバーしてしまっています。それを今回、改めて知り頭を抱えました。まだ中途半端にやっている自分が無様なようにも感じ、上岡さんに申し訳ないと……。普段は辛口の上岡さんでしたが、本当に何度も何度もエールを送られ応援してもらった。それが私の勲章でしたから」
そう謙遜する彼女が、上岡さんとの出会いを振り返る。
「上岡さんと初めて会ったのは、私が小学校3年生の時に出演した、大阪・心斎橋にあった日立ホールで収録された素人漫才の番組でした。淡路島から出てきた私は目を輝かせながら、司会の漫画トリオさんを見ていました。子供心にも上岡さんはお笑いの人に見えなくて、インテリ顔でかっこいいなって。温かさも感じる本当にキレイな関西弁を使う。谷村新司さんもそうですね。普通、私など大阪のタレントは収録で“関西弁でガラ悪く言って”と指図されることがありますが、上岡さんは、絶対に周囲からそう言われない品格を持ち合わせていました」
「なんぼでも稼げたのに」
“話芸の天才”とも称された上岡さんの語り口について、上沼はこうも話す。
「上岡さんのすごいところは、奥様に“滑舌が悪くなったら言ってくれ。そうなってまでテレビ出たくない”と頼んだら、“あなた、今よ”と指摘されて、本当にお辞めになったことです。絶好調だった上岡さんなら、なんぼでも稼げたのに潔くお辞めになった。それが上岡さんの生き様ですよね」
額面通りに“引退”を受け取る者は少なく、政界進出などさまざまな臆測が飛び交ったが、横山ノックの「お別れの会」で弔辞を読んだ例外を除けば、上岡さんが自らテレビカメラの前に立つことはついぞなかった。
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