巨人、史上最強の「5番打者」と呼ばれた男 「柳田真宏」が明かす最も輝いた1977年

スポーツ 野球

  • ブックマーク

「王さん歩け。オレが決めてやる」

 そんな努力が報われ、5月は打率.442、7本塁打、14打点の大活躍で月間MVPに選ばれた。北陸遠征の大洋戦では、打席に立っているときに、投手が投げたボールの隅に小さな黒いしみがついているのが見え、球審に交換を要求したという驚くべきエピソードもある。

「結果が出はじめてからは、気持ちも大きくなり、“王さん歩け。オレが決めてやる”って。スタメンで出ているんだけど、ピンチヒッターで4回出てるんだ、1球目からいい球が来たら打ってやろうという積極的な気持ちでいけました」

 6月に入っても、打率3割6分台をキープ。オールスターファン投票でも外野手部門トップの18万5144票で初選出されたが、オールスター直前の7月21日に背部捻挫などで無念の辞退となる。

「今まで以上に(好成績を)守っていかなきゃいけないという気持ちがあるから、毎日バットを振っていないと落ち着かないんです。それで背筋を痛めて腕が上がらなくなって……。オールスター出たかったけど、やっぱりペナントで結果を出すほうが優先だなって思って、辞退させてもらいました」

 さらに2位・ヤクルトに7ゲーム差をつけ、連覇に向け独走態勢に入った8月にも死球で肋骨を亀裂骨折し、13試合を欠場。9月3日のヤクルト戦で王が放った世界新の756号もベンチで見届けた。

 しかし、9月6日の阪神戦でスタメン復帰をはたすと、同10日の復帰2戦目、広島戦でダメ押しの18号ソロを放つなど、V目前のチームに貢献し、9月23日、2位・ヤクルトの敗戦により、V2が決定した。

「(シーズンを終えて)ホッとしたと同時に、どっと疲れが出た(笑)。時間があれば、バットばかり振ってましたから」

「そのひとことは本当にありがたかった」

 がむしゃらに突っ走った1年間だった。長嶋監督が「巨人史上最強の5番じゃないか」と評したことがきっかけで、現在でも柳田氏の代名詞になっているが、本人は次のように否定する。

「僕の中では、真の最強(5番)は末次さんですね。スエさんはV9の時代に王さんのあとを打って、日本シリーズでのMVP(1971年)もありましたよね。僕自身は末次さんを超えたとは思ってないから」

 その末次氏からは2018年の「週刊現代」(12月15日号)の対談の際に「あの事故の結果として、コーチや2軍監督として巨人に長く残れたわけだから、ラッキーだと思っているよ」の言葉を贈られた。

「心配させないようにという気持ちもあったでしょうけど、そういう言葉ってなかなか出ないですから。(40年以上)ずーっと気になってたから、そのひとことは本当にありがたかったですね」。

 経営するスナックはコロナの影響で大打撃を受けたが、最近は野球ファンを中心に新たな客も増えているという。「あのときのことを聞きたいとか、野球の話をしながら、楽しく飲んでもらえればいいですね」と、最後はスナック店主の柔和な顔つきになった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。