【渥美清の生き方】遺言は「骨にしてから世間にお知らせしろ」 「明日はいよいよ撮るんだね。僕はつらい」亡くなる直前の様子を関係者が証言

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 様々なジャンルの人物たちが、人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。第1回で取り上げている俳優・渥美清(1928~1996)は、近しいスタッフや共演者に何も告げずに逝きました。国民的名優が家族に残した遺言は何だったのか。「寅さん記者」として知られ、日本で唯一「大衆文化担当記者」の肩書を持つ朝日新聞編集委員・小泉信一さんが迫ります。

「まるで化石のよう」な顔

 1969(昭和44)年に始まった映画「男はつらいよ」シリーズも、1996(平成8)年に公開されたシリーズ第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」で一つの区切りを迎える(その後、2作が制作され、第50作で最後となった)。

 舞台は、青い海と美しい珊瑚礁に囲まれた鹿児島県の奄美群島加計呂麻島。寅さんは浅丘ルリ子さん(82)が演じる最愛のマドンナ、リリーと一緒に暮らしている。

 リリーはこれまでのシリーズに3回登場。寅さんとは相思相愛の仲なのに、最後はケンカ別れに終わったり、一方が身を引いたりして、2人の恋は実らなかった。4回目の出演となった第48作「寅次郎紅の花」で「ようやく結ばれた!」とファンはとりあえず胸をなで下ろした。

 ハッピーな展開。なのに、映像を見ると渥美清さんの顔がこれまでと違っている。親友の関敬六さん(1928~2006)いわく、「まるで化石のよう」。髪は短く、首筋の衰えを隠すためマフラーをしていた。

 山田洋次監督(91)もスタッフも「異変」に気づき、主なロケ地を温かい南国の奄美と決め、無理のない範囲で撮影を進めたが、がんが相当進行していたとは夢にも思わなかったに違いない。同年8月4日、転移性肺がんのため渥美さんは68歳で亡くなる。その死は3日後に松竹から発表となる。翌日の朝刊各紙は一般紙も含め「寅さん死去」などと一面トップの扱いだ。

 突然の死から9日後の8月13日。松竹大船撮影所(神奈川県鎌倉市)で「渥美清さんとお別れする会」が営まれた。参列者は約4万。弔辞に立った山田洋次監督はこう述べた。

「あとで伺えば、渥美さんのドクターは、この遺作(48作「紅の花」)に渥美さんが出演できたことは奇跡に近いと言っておられたそうです。渥美さんはどんなにきつかったか。ああ、悪いことをした……。僕は今、後悔をしています」

 たしかに48作まで続いた背景には、「もう1作、いやもう1作」という世間の期待があったことは事実だろう。だが渥美さんにとっては、日本人の誰からも愛される寅さんのイメージに縛られ、がんじがらめになってしまったような気もする。

 山田監督はこうも語った。

「(96年)7月に入院して肺の手術をしたけど、その経過が思わしくなくて渥美さんはとても苦しんだそうです。ベッドの上で起き上がるのがやっとで、それもうつむいたままで両手で机の端をきつく握りしめて、その机がカタカタと音を立てて震えていたそうです」

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