TDL開園40年 浦安市が説明していた「舞浜駅」由来の誤り ならば本当の由来は?

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改めて「マイアミ説」を郷土博物館に聞くと…

 1985年に発行された『浦安市史』や、その後に発行された市の公式的な刊行物には「アメリカのディズニーが所在するマイアミのマイと西海岸を想起させるビーチを合成して舞浜にした」という記述がある。

 公式的な刊行物だけに、その影響力は大きい。書店で市販される書籍や雑誌などにも市史の記述を元にしたマイアミビーチ説が堂々と掲載され、それらが世間に広まっていった。そして、マイアミビーチ説は2012年に発行された『オリエンタルランド50年史』にも記述されている。こうした経緯から、同説が長らく信じられてきた。

 しかし、近年は史料調査が進み、マイアミビーチ説が少しずつ覆されつつある。その発端になったのが、2019年に市が公文書などを整理した際に、熊川好生町長(当時)が町議会で舞浜の由来が「浦安の舞」であると説明している議事録を発見したことだった。これが大発見となり、事態は動いていった。

 筆者は15年以上にわたって京葉線や舞浜駅の取材をしてきた。その間、折に触れてディズニーランドや浦安の歴史を調査・取材する機会があり、繰り返し浦安市の広報担当者や郷土博物館の職員にも話を聞いてきた。熊川町長の発言が発見された後にも取材を試みたが、そのときの回答は

「浦安市は、舞浜をマイアミビーチに由来すると市史などに記載してきました。しかし、熊川好生町長(当時)の発言は大きいのですが、現段階では熊川町長の説明を裏づけるものが議事録以外にありません。そのため、市は、どちらが正しいという判断を保留し、追記という形でHPに載せることにしました」という説明に終始していた。

 今回、改めて浦安市郷土博物館の担当者に話を聞こうとしたが、「舞浜の由来は、確証が得られていません。浦安市史にはマイアミビーチを由来とするとの記述がありましたが、今ははっきりしたことを言えません」と口を濁した。

 浦安市のHPには地域名の由来というページがあり、そこに舞浜の由来も説明されている。現在、HPの舞浜の由来を説明する箇所には「前市史の記述を検証する中で、昭和50年11月29日の町議会において、熊川好生町長(当時)が『浦安の舞にちなんで舞浜と名付けた』と説明し、可決されたという事実を再確認したことから、前市史などの記述を改め、『浦安の舞』を地名の由来とします」と加筆され、以前とは異なる見解が示されている。つまり、浦安市は態度を変えつつあるのだ。

「浦安の舞」とは

 それでは、熊川町長や堀さんが舞浜の由来と断言する「浦安の舞」とは、何なのか? それを知るには、堀江村・猫実村・当代島村の3村が合併して浦安村が誕生した1889年まで歴史を遡らなければならない。3村が合併した際、新町名に浦安が採用された。浦安という地名は3村とまったく縁がなく、これは日本の雅称とされている。そして、合併から約50年後に催された皇紀2600年奉祝臨時祭で「浦安の舞」という神楽舞が考案された。

 浦安の舞を舞うための砂浜、これが舞浜という地名につながるわけだが、残念ながら舞浜にそのような砂浜はない。ただただ、夢と魔法の王国が広がっている。舞浜駅前の風景がディズニー一色に染まっていることを踏まえると、市井の人々がディズニーを想起させるようなマイアミビーチ説に傾斜してしまった心理は自然な成り行きなのかもしれない。

「私は浦安青年会議所の理事長をしていましたが、当時の仲間たちの何人かが今は浦安市議を務めています。そうした仲間たちにも働きかけ、行政も動き出しています。少しずつ浦安の舞が由来であるとの認識が広まっているのです」(高梨さん)

 ちなみに、市のHPの説明文は変わったが、今のところ次の市史を編纂・発行する予定はないという。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部

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