TDL開園40年 浦安市が説明していた「舞浜駅」由来の誤り ならば本当の由来は?
今年、東京ディズニーランドは開園40年を迎えた。今や国内屈指の来園者数を誇る東京ディズニーランドだが、開園当初は京葉線が未開通。それゆえに舞浜駅は存在していなかった。
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当時、東京ディズニーランドの最寄駅は営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線の浦安駅で、多くの来園者はそこからバスに乗った。駅からディズニーランドまでの道路は未舗装だったので乗り心地も悪く、渋滞に巻き込まれることもあった。浦安駅からのアクセスは決していいとは言えなかった。
東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドは、京成電鉄・三井不動産・朝日土地興業の3社が合弁で設立。京成は現在もオリエンタルランドの筆頭株主であることからも窺えるように、当初の計画では東西線の東陽町駅から分岐する形で京成がディズニーランドまでの新路線を建設することになっていた。しかし、京成の計画はうまくいかず、国鉄(現・JR東日本)が京葉線を建設。
当初の有力駅名は「四季」だった
舞浜駅はディズニー開園から遅れること5年、1988年に開業した。浦安市は開業前の計画において、西浦安駅という仮称を用いていた。実際の駅名は住民から新駅名を公募。その結果、1位が舞浜駅で282票、2位がディズニーランド駅で276票、3位が東京ディズニーランド駅で190票だった。
1位こそ舞浜駅だが、2位と3位は、“東京”がつくかつかないかの違いだけで、ほぼ同名票といえる。そして4位以下もディズニー関連が占めた。まだ日本国民にとってディズニーへの馴染みが薄い時代において、浦安市民がディズニーに高い関心を抱いていたことが窺える。
ディズニー関連の駅名を望む市民に対して、浦安市は「商標権の問題がある」という理由から公募結果を参考程度にとどめた。そして、JR東日本に対して新駅名を浦安舞浜駅にするように要望する。しかし、最終的に地名そのものを駅名にした舞浜駅に落着する。
一方、ディズニーランドを運営していたオリエンタルランドは、どんな駅名を望んでいたのか?
「当初、オリエンタルランドは役場から地名を決めてくれないかと要請され、社内公募していました。その結果、『四季』という地名に内定したと堀貞一郎さんから聞きました。しかし、四季は音読すると“しき”となり、死期と誤認します。語呂が悪いという理由から却下されたようです。もし地名が四季に決まっていれば、駅名も四季駅になっていたはずです」と回顧するのは、2013年から2014年にかけて浦安青年会議所の理事長を務めた高梨健太郎さんだ。
オリエンタルランドが地名を社内で公募し、四季に内定していたという話は関係者だけが知る話だ。高梨さんに話をした堀貞一郎さんとは一体どんな人物なのか?
「堀さんはディズニーランドの日本誘致を担当し、開園までの準備期間に総合プロデューサーを務めた人物です。声質が抜群によいので、声優か歌手をしていたのではないか? と思えるほどでした。本人からは『ホーンテッドマンションの案内アナウンスの声を担当した』と聞いたことがあります」(高梨さん)
交流を深めていくうち、高梨さんは堀さんの生き方や考え方に感銘を受けていく。そして、高梨さんは堀さんを浦安青年会議所の講演会にゲストに呼ぶ。しかし、講演会の会場で堀さんは体調が急変。最終的に講演は高梨が堀さんの原稿を代読することになった。それから間もなくして、堀さんは帰らぬ人となる。
「当時、浦安市は舞浜という地名の由来を『アメリカのディズニーが所在するマイアミのマイと西海岸を想起させるビーチを合成して舞浜と命名した』と説明していました。生前、堀さんから舞浜の由来は神楽舞の『浦安の舞』が正しいと繰り返し話しています。堀さんは、『どうして間違った説が世間に流布し、こんなにも定着してしまったのか?』と嘆いていました。その話を何度もするので、堀さんの胸中には忸怩たる思いがあると感じました。堀さんは志半ばで亡くなりますが、私はその遺志を継いで、『浦安の舞』が由来であるとの認識に改められるように活動しています」(高梨さん)
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