日本に住む外国人が違和感を覚える「過剰なアナウンス」問題(中川淳一郎)
先日、アメリカ人男性、イギリス人男性、フランス人男性、セルビア人女性と日本人男性とで飲みました。大変愉快な会で、飛び出すジョークや皮肉も日本人同士ではなさそうなタイプのもので面白かった。行った居酒屋にはカエル焼きがあり、皆でウマいウマいと食べたのですが、注文段階ではこんな会話になります。
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英「オレたちはフランス人のことを『カエル野郎』と呼ぶんだよ」
私「なんで?」
英「あいつらはカエルを食べるからな」
仏「ガハハハハ!」
私「この店もあるってことはオレら日本人も『カエル野郎』なの?」
英「それはない。あくまでもフランス人だけだ」
私「じゃあ、イギリス人は『豆野郎』なの?」
英「豆はどの国の人間も食うからその揶揄は成立しない」
まったくロジカルではないのですが、この両国の「仲良くケンカする」的な感覚は分かりました。と思ったら突然フランス人がアメリカ人に「なんでお前らの国は毎度学校での銃乱射事件があるんだ?」と切り出します。これに対するアメリカ人の意見を要約するとこうなります。
「銃があることにより、強盗・レイプ・空き巣等を防ぐことができる。それでどれだけの被害を回避できることか。あと、銃による死因の1位は自殺であり、他人の命を奪うことではない。実際銃乱射事件が起きるのは、ブルーステイト(銃反対派が多い民主党支持者の州)であり、そうでなかったとしても民主党支持者が多い街。オレの父は警察官で銃は身近にあったが、だからこそ銃の使用方法については安全性を十分に学んでいる。子供たちにはおもちゃの銃であっても人に向けるな、と指導するほどだ」
会合のきっかけはツイッターでした。私は現代ビジネスというサイトに日本が「過剰アナウンス大国」であるとの記事を寄稿しました。ベースとなるのは哲学者・中島義道氏の『うるさい日本の私』という本です。同書は日本が無駄なアナウンスまみれなのを問題視し、公共交通機関や商業施設の様子をメモし、「この部分は不要だろう」と実際に担当者と戦った様を描きます。
この原稿が掲載された翌日、外国人が集うネット上のコミュニティーでシェアされたようで、多数の英語ツイートで共感の声が書き込まれ、このうち何人かが私にメッセージを付けてきたのです。そして相互フォロワー関係になり、アメリカ人男性から「今度東京に来るなら飲もうぜ」とのお誘いがあったというわけです。
セルビア人女性は「私だけがあまりにセンシティブでおかしいのかと思っていたけど、日本人でも同じ感覚の人がいて安心した」と言っていました。日本は好きだけど、日本社会には時々違和感を覚える人々の集い、盛り上がるわけで、3次会まで飲み続けたのです。
ちなみにこの日飲んだ場所は歌舞伎町ですが、道路では延々と以下のようなアナウンスが流れていました。
「最近マッチングアプリで知り合った女性に案内されて店に行き、その人は消えて高額の請求をされるトラブルが相次いでいます。事前によく調べたうえで店に行きましょう」
どこまで過保護なんだよ。