カンヌ脚本賞の坂元裕二氏 分岐点となった「Mother」(2010年)で考えるドラマ作品の特徴

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バブル時代は肌に合わず…19歳で脚本家デビュー

 坂元氏は同高を卒業すると、アルバイトをしながら脚本について独学する。これも純文学作家のような青春時代である。年齢的にはバブル世代だが、あの時代は肌に合わなかったらしい。

「今の時代のほうが遥かに好きで、愛着を持っているんです」(坂元氏、青土社『ユリイカ』2021年2月号)

 背骨のしっかりした坂元氏の作品を観ていると、全般的に軽佻浮薄だったバブル期が合わなかったのは頷ける。

 デビューは1987年。フジのヤングシナリオ大賞を受賞した「GIRL-LONG-SKIRT~嫌いになってもいいですか?~」がドラマ化された。17歳の男女の日々を描いた。当時の坂元氏はまだ19歳。異様とも言えるほど早いデビューだった。

 坂元作品はセリフが珠玉であることで知られる。それはデビュー当時から。脚本はストーリーとダイアログ(会話、セリフ)に分かれるものの、坂元氏は特にダイアログのリアリティーと瑞々しさが高く評価された。

 連ドラ第1作は1989年。柴門ふみ氏(66)の漫画を原作とするフジ「同・級・生」を書く。この脚本の執筆をめぐってはウソみたいなエピソードがある。

 本来は大石静氏(71)が脚本を書くはずだった。来年のNHK大河ドラマ「光る君へ」を書く大御所である。当時、デビュー4年目。早くも売れっ子になっていた。

 一方、フジの制作陣は勉強させるつもりで坂元氏に「同・級・生」の第1話を書かせた。これが出色で、それを読んだ大石氏は坂元氏に全て任せるべきだと言った。まだ20歳を過ぎたばかりだった坂元氏の才能には驚くばかりだが、後進の才能を活かすべきだと考えた大石氏も立派だった。

 1991年にはやはり柴門氏の漫画を原作とするフジ「東京ラブストーリー」が、全話平均で22.9%の世帯視聴率を記録。社会現象と化した。だが、その後の坂元氏は純文学的な脚本家に舵を切る。

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