長野4人惨殺事件、警察が犯した「深刻なミス」とは 「盗聴」被害妄想の息子に銃を持たせた市議会議長にも責任が
“人間関係が苦しく…”
父親の正道氏は、地元で代々続く果樹園で桃やシャインマスカットなどを栽培しながら、2014年に市議会議員に初当選。3期目の22年から議長職にあった。青木家を知る農業関係者が言う。
「奥さんは隣の山ノ内町の出身で、正道さんとは高校の同級生。子どもは3人で、政憲君の年子の妹は東京の体育大を卒業後、結婚して県外に住んでいます。その七つ下の次男は自衛官で、北海道にいると聞きました」
政憲容疑者は地元の小中学校を卒業し、進学校である県立須坂高校へ。中学校では野球部でキャッチャーを務め、高校では山岳部に在籍していたという。
「卒業後は一浪して東京の私大に進学しました。ところが、初めての一人暮らしで環境の変化もあって大学生活になじめず、3年生の時に中退して地元に戻ってきた。それ以来、お父さんも何とか立ち直らせようと心を砕いてきました」(同)
その頃、正道氏は勤めていた肥料販売会社を退職、独立して農業支援会社を立ち上げている。古くからの仕事仲間が言う。
「会社を興した少し後でしたか、政憲君が中野に戻ってきました。小さい頃は私を見ると『おっちゃーん』とかわいく駆け寄ってきたのに、すっかり変わってしまい、家を訪ねて話しかけても、小声で『ウス』とだけ言って押し黙ってしまう。無愛想を通り越し、面と向かって座ったらにらみ合いになってしまうほどコミュニケーションが取れない子でした。正道さんは『(東京で)人間関係が苦しくなったみたいだ』と漏らしており、敷地内のプルーン栽培などを手伝わせていました」
従業員とトラブルに
議員に当選した正道氏は、代々の農地を継いで一本立ちしてほしいとの願いから、自らの果樹園を「マサノリ園」と命名した。収穫した果物を用いたジェラート店も展開し、19年に軽井沢へ出店、昨年は中野市内に2号店をオープンさせている。が、先の農業関係者は、
「2号店は政憲君に任せていたはずが、従業員とのトラブルなどもあって店に顔を出さなくなり、実際にはお母さんが切り盛りしていました。自宅に配布物を届けに行っても、政憲君は庭で農作業をしながらあいさつもしないで小さくうなずくだけ。社交的な両親とは大違いでした」
当日、自宅前で竹内さんを刺した政憲容疑者は、逃げる村上さんを追って150メートルほど離れた場所で背中をひと突き。あお向けに倒れたところで胸を刺し、絶命させた。畑仕事をしながらこの光景を目撃したのは、かつて正道氏の後援会長を務めていた男性(72)だった。
「しばらくすると正道が帰って来て、いつもの口調で『何があったんですか』と聞く。私が見たままを話すと彼は、無言で頭を抱えて座り込んでしまったのです」
名声は、一夜にして地に堕ちたのだった。
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