穀物市場で日本が「買い負け」する日は来るか――新妻一彦(昭和産業株式会社代表取締役会長)【佐藤優の頂上対決】

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「農産報国」を掲げ設立

佐藤 いま業務用と家庭用の割合はどのくらいですか。

新妻 業務用が9割で、家庭用は1割程度です。

佐藤 それにしてはスーパーでよく目にしますね。

新妻 家庭用は、小麦粉分野では天ぷら粉、唐揚げ粉、お好み焼き粉、ホットケーキミックスなどがあり、パスタ類もあります。それから食用油ですね。サラダ油などの汎用油もあれば、プレミアム系のオリーブオイル、こめ油もあります。また子会社では卵も扱っています。

佐藤 どれもスーパーで目立つ場所に並んでいる。

新妻 それはやはり「昭和天ぷら粉」がブランドとして定着していることが大きいでしょうね。これが柱となって、派生的に生まれた商品をお取り扱いいただいているといった感じです。

佐藤 業務用の販売先はどんなところですか。

新妻 小麦粉なら、製パン会社や製麺会社がメインですね。また天ぷらや唐揚げを作っているスーパーのバックヤード向けもあります。それからコンビニ向けのパンを、子会社で作っています。

佐藤 昭和の小麦粉とは気が付かないまま、私たちはさまざまな食品を食べているわけですね。

新妻 油の方は、例えばマヨネーズやドレッシングなどを製造している加工油脂メーカー向けですね。また糖質事業もあって、こちらはビール会社や飲料メーカーがお得意さまです。

佐藤 小麦と大豆と菜種とトウモロコシと、この4種の穀物をすべて扱っている会社は非常に珍しいと聞きました。

新妻 海外の穀物メジャーにはありますが、日本では私どもだけです。穀物の取扱量は食品メーカーとしては日本一です。

佐藤 そこにはどんな経緯があるのでしょうか。

新妻 弊社が設立されたのは、1936年です。創業者の伊藤英夫はそれまで肥料会社を経営していましたが、昭和初期の深刻な食糧不足を目の当たりにし、安定的な食糧供給や疲弊した農村の立て直しを図るため、「農産報国」を掲げて会社を立ち上げました。これが穀物4品を扱うことの原点になっています。

佐藤 食糧の安定供給という観点では非常に重要な4品です。

新妻 会社としてはその後、昭和30年代から40年代にかけて、神戸や船橋、茨城の鹿島といった臨海部に画期的な食品コンビナートを作りはじめます。先輩たちが「これからは原料が海外からくる」ということを見抜いていたんですね。小麦や油の原料を保管するサイロを作り、船橋なら製粉工場を建てて小麦粉、さらにプレミックスやパスタも製造できるようにした。また神戸では、粉も挽き、油も搾って、その副産物を配合飼料にするなどしていました。

佐藤 食品コンビナートを核に、複合的に事業を展開されてきた。

新妻 私どもは弊社を「穀物ソリューション・カンパニー」と位置付けブランドメッセージを発信していますが、おそらく1947年くらいには現在の会社の原型が出来上がっていたと思います。

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