【袴田事件再審】巖さんが46年前、最高裁に出した「上告趣意書」から読み取れること

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「発見」の前日に隠されたと推測

 巖さんは趣意書の中で「5点の衣類」についてこう記している。

《先ず、(中略)問題の一号タンクは人目に常に晒される場所であること、犯人にとって大切な証拠を隠すような場所とは全く異なっていること、捜査当局が言うように一号タンクに隠(さ)れた物なら昭和41年7月4日の捜索の際、当然に発見されたはずである。》

 そして、一号タンクに放り込まれた捏造工作の時期と理由について以下のように記している。

《本件衣類が右タンクに納められたのは、昭和四十二年八月末頃である。第一の理由は麻袋に人血の付着が認められていないこと、少なくとも、当局者がいうように右麻袋に血染めの衣類が納められたものであれば(中略)多量の人血の付着は免れ得なかったはずである。(中略)そこで真犯人が被告人の無罪を阻むために血染めの衣類に偽装してこがね味噌一号タンクに隠す結果になったのである》

 ここまで記している巖さんだが、「5点の衣類」をタンクに放り込んだのは捜査機関ではなく「真犯人」と考え、刑事らは真犯人に加担して偽装工作を発展させたと考えたようだ。

 巖さんの上告趣意書は最後にこう結ぶ。

《裁判官は権力の行なった不正に弱い。裁判官は本来事件の真相を正しく究明する義務がある。然し、高裁は当然の義務を怠っている。その結果、穿けもしないズボンを穿いたと嘘を主張してごまかした。(中略)本事件においてそれだけでは到底有罪の証拠となり得ない事実を並べ立て、そのうち有罪にごまかすに都合のよいインチキ解釈だけを引っ張り出し、集めて回るというのだから、これはもう裁判ではありません。このような高裁・横川裁判長のデッチ上げは許されない。最高裁で当然破棄して正義を守るべきだ。それとも権力の不正を弾劾する国民の広範な批判だけが正義を守る最後の保障なのか。》

「変わったことはない」

 釈放後、巖さんは「裁判には勝った」と言っており、ひで子さんも弟には裁判についての話はしないように努めてきた。それがいよいよ再審無罪が間近に迫っている今、巖さんは「戦いが始まる」などと語るようになった。今年3月の再審開始決定の際も、まるで関心がないかのように淡々としていた巖さんだったが、今、彼の内面で何かが動き出しているのだろうか。

 審理に関わった裁判官自ら「捜査機関の捏造」と明言していることを理解しているとすれば、この度し難い権力の陰謀についてどう咀嚼しているのだろうか……。

 拘禁症状の影響で、以前から巖さんは自分のことを「最高裁長官」と言っていた。しかし、村山氏に会った後は言わなくなったと報道で見たので、ひで子さんに弟の変化を聞いてみたところ「特に変わったことはないですよ」とのことだった。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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