【袴田事件再審】巖さんが46年前、最高裁に出した「上告趣意書」から読み取れること
5月19日、袴田巌さん(87)は2014年に「袴田事件」の再審開始決定を出した「命の恩人」である村山浩昭元裁判官(66)と東京で初対面した。村山氏はその直後の集会で「(捜査機関の)捏造としか思えなかった」と明言した。来る再審公判では、冤罪史に残る警察の度し難い「証拠捏造」が炙り出されなくてはならない。連載『袴田事件と世界一の姉』の34回目。【粟野仁雄/ジャーナリスト】
「(捜査機関の)捏造しかなかった」と村山元裁判官
「これ以上の拘置は耐え難い程正義に反する」
2014年3月27日、日本のみならず世界の司法界にも特筆されるであろう歴史的な静岡地裁の再審開始決定の中の一文である。これにより死刑囚として東京拘置所に収監されていた79歳の巖さんが約48年ぶりに社会にその姿を見せ、以来、静岡県浜松市で姉のひで子さん(90)と静かに暮らす。
静岡地裁の裁判長としてこの決定文を書いた村山浩昭氏(退官後は弁護士)が5月19日、参議院会館で催された「再審法改正をめざす市民の会」の結成4周年記念集会で、袴田弁護団の水野智幸弁護士(法政大学法科大学院教授・元裁判官)の質問に答える形の講演をした。講演会の模様はインターネットでも配信され、村山氏は警察の証拠捏造について、2014年の決定文以上に踏み込んだ意見を述べた。
水野弁護士が、有名な裁判官らも含めた諸先輩の判決に異を唱え、再審開始決定を出すことへのためらいはなかったのかを問うた。
「再審開始決定は勇気がいる。三審で決めたことの重みを裁判官は知るからです。しかし、過去に関わった裁判官についてのためらいはなかった。私は先輩の部長から『どんな有名な裁判官だって間違う』と教えられ、自分でもそう思っていました」(村山氏)
拘置停止を決断するに至った経緯についても、村山氏は詳しく語った。
「刑事訴訟法では、懲役刑なら懲役刑自体が刑ですから、執行停止で釈放される。ところが、死刑は行使が刑なので、拘置自体は刑ではない。解釈論としては『刑の停止』と書いてある以上は、(死刑囚は)拘置停止できないというのが一般(的な考え方)。そのハードルを越えなくてはいけないという気持ちになった理由はいくつかありますが、一つには袴田さんの健康状態が非常に悪いと聞いていた。(中略)釈放すれば逃亡されることが大きなリスクです。しかし、当時の袴田さんが逃亡するとはまず考えられなかった」
さらに、今年3月の東京高裁(大善文男裁判長)の再審開始決定について、村山氏はこう評価する。
「捜査機関の捏造と書いてくれた。これは勇気がいる。検察官すべてを敵に回すから。素晴らしい決定文だと思います」
巖さんと面会
集会の冒頭、巖さんがひで子さんに連れられて登場し、「戦いが始まる」などと話した。巖さんには、死刑囚として拘留されたことが原因で起きた拘禁症状の影響が出ている。
実は集会の直前、2人は別室で村山氏に初めて会い、姉に促された巖さんは頭を下げて感謝したという。ひで子さんは記者たちに「もう1年遅かったら巖は完全に獄中死だった。(釈放から)半年後に1・8センチもある胆石を取る手術をした。村山さんが判断してくれて命を助けてくれました。裁判の時もお礼が言いたいと思っていましたが、現役だったので遠慮して、改めてお礼を言おうと思っていました」などと話した。
後日、改めてひで子さんに巖さんと村山氏の対面の様子を聞いた。
「水野先生が取り計らってくださって、村山先生と対面することができました。巖に『この人は命の恩人なんだからお礼を言いなさい』と言ったんです。巖は頭をぴょこんと下げて、それから、なんだかもごもごと言ってたようだけど、私には聞こえなかったですね。巖は村山先生と会うのは初めてでしたが、私自身は9年前にはお礼をしようと思って一度お会いしています。でもあの時は、あまり話はできなかった。今回、(集会で)あそこまで話してくださるとは思わなかった。証拠捏造とか、あんなに踏み込んだご発言をしてくださって本当に嬉しかったですよ」(ひで子さん)
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