武尊が“7代目”襲名 「佐山聡」が築いた「タイガーマスク」のイズムが継承され続ける理由(中川淳一郎)

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タイガーマスク運動

 私は今回の会見を見た時、タイガーマスクという存在の大きさを改めて思い知った。武尊が生まれたのは1991年で、佐山氏がタイガーマスクとして活動したのは1981年から1984年のこと(後にザ・タイガーやスーパータイガー、タイガーキングとしてプロレスの試合に登場)。そんな若い武尊にまで影響を与えるとともに、2023年になっても子供達にタイガーマスクのイズムを継承していることに感動したのである。

 タイガーマスクの社会への影響を感じたのは、2010年12月25日に群馬県で始まり、その後全国に広がる「タイガーマスク運動」である。漫画『タイガーマスク』の主人公の正体である「伊達直人」を名乗る30代サラリーマン男性が、群馬県中央児童相談所にランドセル10個を送ったのだ。以後福祉施設や児童相談所にランドセルや玩具、文房具、金塊などが送られ、テレビでもこの現象は多数取り上げられた。恵まれない境遇の子供達を支援したい、という善意が共感を呼び、連鎖的に「伊達直人」が登場したのだ。ただし、チャーシュー4本が送られた施設は困惑するなどの騒ぎもあった。

 この運動が始まった3年後に梶原一騎にまつわるキックボクシング大会で6代目が登場するに至ったが、この時は「タイガーマスク=善意の青年・中年男性」といった空気感はすでに完成していた。そして2017年には佐山氏が名誉顧問を務める「一般社団法人 初代タイガーマスク後援会」が設立され、ランドセルを贈ることも含めた社会貢献活動が開始された。

アミーゴ・ウルトラ

 こうした佐山氏の動きを見ていると、今となっては「生き恥」とは思わず、観客が喜ぶなら、社会貢献できるならタイガーマスクは活用しなければならん! という意思を感じられるのである。

 他にこのようなキャラクター発マスクマンはいただろうか。「獣神サンダー・ライガー」は初代が現役なだけにまだ2代目が出るような状況にはないうえ、原作よりもレスラーの方が知名度が高くなったが、「ムシキング・テリー」は2代目で休止。メキシコから来た「ウルトラマン」は初代で終了。「ウルトラセブン」「アミーゴ・ウルトラ」「ウルトラタロウ」も定着はしなかった。「アミーゴ・ウルトラ」に至っては当初「帰ってきたウルトラマン」を名乗っていたが、マスクとコスチュームデザインで円谷プロの許可がなかったため、この名前になった。なんともトホホな流れである。

 かくしてフィクション作品のキャラをマットに送り込むことは容易ではないが、タイガーマスクはこれを7代も続け、さらにはK-1の元トップファイターまで巻き込んで慈善事業を行うというウルトラCまでやってのけたのだ! 初めてタイガーマスクを見た私はあれから42年後、佐山氏が作り上げたあの世界観がいかに多くの人々の心に残ったかに戦慄するのである。

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