子どもを亡くし、夫からはDV… 100歳の三味線奏者が語る凄絶な半生 元気の秘訣は「共演者たちへのお裾分け」

ドクター新潮 ライフ

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元気の秘訣は「煮卵の差し入れ」?

 別の日に、お住まいの赤羽(東京・北区)の団地に伺ってインタビューした。

――祐子師匠の元気の秘訣(ひけつ)が知りたいんですが。

「そりゃ、なんてったって三味線だろ。毎日練習するからね。あと、タッタタッタと歩くことと、ごはんも三度三度ちゃんと作っていることかな」

――木馬亭へも、一人で行かれているとか。

「もちろん。バスと電車を乗り継いで上野に出て、そこからまたバスに乗って。卵も持ってね」

――卵?

「うん。煮卵を1パック分くらいこさえてね、楽屋で若い人たちに。みんな喜んでくれるから、うれしいよ。差し入れといえば、餃子をよく作るんだけど、作りすぎたら両隣におすそ分けするし、編み物も得意だから帽子やセーター、手袋なんかを編んで、皆さんにプレゼントするのも好き」

 と、祐子師匠。いい人すぎる――と思わずうなる。そうなるまでには波瀾万丈の道のりがあった。

子どもを失い、DVに苦しみ…

 茨城県笠間市の農家に生まれ、14歳で泣く泣く奉公に出された。奉公先の隣がレコード屋。聞こえてくる浪曲に引き込まれ、浪曲師を目指して上京。17歳で入門、18歳で舞台デビューを果たすが、「声が硬い」と、曲師に転向を余儀なくされ、巡業生活に。「一緒になれなかったら、首吊って死ぬ」と言う同業の男(当時38歳)が現れ、22歳で結婚。4人の子供ができるが、そのうち一人が5歳で亡くなってしまう。その後、夫のDVに苦しみ、離婚。53歳で浪曲師と再婚し、公私共にベストパートナーとなる。93歳で死別……。

 人生のあらましを泣き笑いしながら話してくれた後、

「くよくよしないこと。あと、人様のいいとこだけを見ること」

 と、元気の秘訣を追加した祐子師匠だった。

井上理津子(いのうえりつこ)
ノンフィクションライター。1955年奈良市生まれ。京都女子大学短期大学部卒。タウン誌を経てフリーに。人物ルポや町歩き、庶民史をテーマに執筆。著書に『旅情酒場をゆく』『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師たち』『絶滅危惧個人商店』『師弟百景』など。

週刊新潮 2023年6月1日号掲載

特別読物「人に歴史あり共通項あり 86歳から100歳まで『介護保険』要らずの『生涯現役』は“来し方”に秘訣」より

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