ツール・ド・フランス7回完走の新城幸也が語るロードレースの醍醐味(小林信也)
“世界最大のロードレース”ツール・ド・フランスで7回完走、2012年と16年には区間敢闘賞を獲得。晴れ舞台で2度も表彰台に立った日本人選手は新城幸也(あらしろゆきや)しかいない。
グランツールと呼ばれる3大大会(イタリア、フランス、スペイン)に15回参戦、すべて完走している現役選手は新城ただ一人だ。何しろ21ステージを約3週間で走破する。走行距離3千キロを超える過酷さだ。
新城は1984年9月生まれの38歳。今季もバーレーン・ヴィクトリアスの主力で活躍を続けている。
自転車はチーム競技だ。エースを優勝させるためにチームメートは役割を分担し、エースをサポートする。新城が教えてくれた。
「いま自分の仕事は主に、スタートから中盤までチームメートを安全に引っ張って山場を迎えることです」
先頭を走ると風の抵抗を受けて消耗する。新城はエースのミケル・ランダ(スペイン)と仲間たちの体力温存のために身を削る。4月上旬の「バスク一周レース」でもランダの総合2位に貢献した。
沖縄県石垣島で生まれ育った新城は、高校までハンドボールに熱中していた。
「体育教師になって石垣島でハンドボールを教える。それが人生のプランでした」
自転車が好きだった父の影響でロードバイクは身近にあった。中学生の時は毎年、石垣島ジュニア・トライアスロンに出場していた。
「自転車は好きだったけど、それ以上にハンドボール愛の方が勝っていました」
受験を控えた高3の10月、石垣島で合宿した自転車のプロ選手・福島晋一と走る機会があった。練習後、福島が父親に言った。
「自転車の才能があるから、やらせた方がいい」
プロの太鼓判を伝え聞いても、新城の心は動かなかった。ところが、
「受験に失敗したんです。時間がもったいないなと思って福島さんに連絡したら、3カ月フランスで自転車に乗らないか、と誘われて」
福島が拠点にしていたノルマンディーに渡った。18歳の春だった。
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