藤井聡太が史上最年少名人に 恩師・文本力雄さんが懐かしむ“オレンジジュース事件”

国内 社会

  • ブックマーク

家族旅行で来た藤井荘

 新緑が鮮やかな高山村・山田温泉にある老舗旅館・藤井荘は、代表取締役の藤沢晃子さんの将棋好きだった夫(秀悟氏)が生前、「うちの旅館の屋号と同じ名の藤井聡太さんの対局を誘致したい」と日本将棋連盟に働きかけ、それに呼応した村をあげての誘致が成功した。渡辺は2年前に名人戦で訪れていたが、藤井は「数年前に家族旅行で来たことがある」と実は縁があった。高山村は藤井聡太ファンのみならず将棋ファンの聖地になることだろう。

 藤井は一夜明けた会見で「対局室からの新緑が美しく、この上ない環境でした。またいつかじっくり落ち着いて訪れてみたい。(藤井荘の名前について)偶然ではありますが、何かしらの縁を感じます。ここで名人のタイトルを獲得できたのは思い出になった」と藤井荘に感謝し、女将の藤沢晃子さんは「名前が同じだというだけでこんなに注目されていただいて本当に嬉しい」と話した。藤井荘では、新名人が書いた色紙や封じ手を展示することを考えているという。

 田中寅彦九段(66)と黒沢怜生六段(31)による大盤解説場(高山村保健福祉センター)も朝から満員。新名人誕生の瞬間には涙顔の男性もいた。

 田中九段は立会人の仕事の合間に対局場からかなり離れた解説場に駆けつけ、いつものような巧みな話術でファンを楽しませた。その解説を聞きながら、以前、彼が語っていたことを思い出した。

 数年前、将棋界が8タイトルを多くの棋士で分け合う「群雄割拠」状態で、まだ藤井はタイトルを取っていない頃、田中九段は「今、実はトップ棋士たちは『いずれ全てのタイトルが藤井聡太に取られてしまう。今のうちに一つでも取っておかなければ永遠に取れなくなる』と思って焦っているんですよ」といった主旨のことをテレビで語っていたのだ。今、その予言通りになっている。

 対局を見守った種田山頭火研究者の古川富章さん(55)は、地元の将棋ファンとしてこんな感想を持った。

「対局開始の時、渡辺名人のほうから先に深々と頭を下げたのが印象的でした。丁寧な渡辺さんは立派ですが、正直、どっちが名人かわからない印象。魔王なんていう仇名の渡辺さんですが、最初から相手に呑まれていた気もしました」

 さらに、「藤井さんは中盤、自分が劣勢なことはわかっていたでしょう。そんな中、ポイントとなった『6六角』を指しました。あの一手をほとんど時間を使わずにバーンと指したものですから、渡辺さんは『あれっ、ひょっとして自分は間違っていたのかな』と疑心暗鬼に陥り、長考になってどんどん悪い方向へ向かってしまったのでは。普通に時間を使って指されれば、渡辺さんも落ち着いて対応できたのではないでしょうか」と想像する。

「藤井さんが心理作戦で『6六角』を早く指したかどうかはわかりませんが、これまで封じ手や昼食休憩前の時間の使い方などを観察すると、とても二十歳とは思えない戦略も垣間見えました。藤井聡太という新名人は、優男に見えても将棋に関しては相当したたかなのだと思います。外見や言動は全く違いますが、大昔の升田(幸三)名人(1918〜1991)のような真の勝負師です。柔和な物腰とは異なる内面を持つ二十歳の若者の今後が楽しみです。藤井さんは長野県の人ではありませんけど、私の住む長野県で新名人が誕生したことは嬉しいですね」と話した。

 異論のある藤井ファンもいるだろうが、将棋においての「したたかさ」について筆者も同感である。
(一部、敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。