村上宗隆 絶不調の深層 実は昨年、最終戦に放った56号本塁打は危険信号だった
三振数はすでに昨季の半分以上
セパ交流戦が始まった。昨季セ・リーグの覇者・ヤクルトは、その初戦となる日本ハムとのビジターゲームを落とし、第2戦まで敗北を喫した。これで、12連敗。借金も「13」まで膨らんだが、前年優勝チームが12連敗を喫するのは史上初めての屈辱だ。
初戦に敗れた後に出た高津臣吾監督(54)のコメントが興味深い。
「大きなミス、小さなミスがたくさんあった。そういうミスをしていると、なかなか点が取れない。次の1点が防げない。できることはしっかりやる、できないことを努力してできるようにする。それが大切」
指揮官の言葉を受け、真っ先に浮かんだのは2回表、二塁走者だったサンタナ(30)が欲張って本塁に突入しようとして三塁-本塁間で挟まれてアウトになったシーンや、7回の長岡秀樹(21)のバント失敗など……。しかし、高津監督はこうも付け加えている。
「一生懸命やっているので、それに対して、『何をやっているんだ?』とは言えない」
その一生懸命さが空回りしている代表的な選手が、「村神サマ」こと村上宗隆(23)。取材を進めると、長引く彼の不振の深層が見えてきた。
1日の日本ハム戦で適時打と10号本塁打を放ち、チームの連敗阻止に貢献したものの、村上のここまでの成績は、打率2割2分2厘、本塁打10、打点30。 全48試合に「4番・三塁」で出場してきたが(6月1日時点)、12球団トップの67三振を喫している。史上最年少での三冠王に輝いた昨季の三振数が「128」だから、ペナントレースのおよそ3分の1の時点で、昨季の半分以上を記録してしまったわけだ。
「得点圏打率は2割5分。でも、67個 の三振のうち、17個が得点圏で喫したものです」(スポーツ紙記者)
ヤクルトの総失点はリーグワースト2位の202。総得点は168(同5位)、つまり、好機で打席がまわってきた主砲に「快心の一発」が出ていれば、ここまで低迷することはなかったはずだ。
大記録達成で見逃された不振
「村上の不振は、3月のWBCに出場した後遺症だと言われています。NPB公式球とメジャーリーグ公式球でもある大会球は握ったときの感触や反発係数が違うため、その影響かもしれません」(前出・同)
だが、必ずしも「WBCの後遺症」とは言い切れないようだ。大会成績は26打数6安打、三振13とイマイチだったが、準決勝・メキシコ代表戦では試合を決める決勝タイムリーを放ち、アメリカ代表との決勝戦では同点ソロアーチをスタンドに叩き込んでいる。尻上がりに調子を取り戻した、という印象が強い。
「いや、昨夏からちょっとおかしくなり始めていたんです。タイミングの取り方が変わったのか、ジャストミートしたはずの打球が、あがりにくくなったのです」(在阪球団スタッフ)
当時は史上最年少での三冠王達成、日本人選手の年間本塁打数の記録更新など数字にばかりに目が行っていたが、対戦チームのスコアラーたちはこうした“微妙な変化”に首を傾げていたという。
「その当時は打球が上がらなくなっても、ライナー性やゴロの打球がヒットになっていたから良かったんです。でも、秋になって肌寒くなってきたころにはヒットも激減していきました」(前出・同)
好調だった前・中盤戦の“貯金”で三冠王にはなれたが、気になる点もある。王貞治氏が持つ「シーズン55本の本塁打記録」に並んだのは、昨年9月13日。10月3日のシーズン最終戦まで13試合を残しており、ファンは「56本は確実、2013年にバレンティンが達成した60本のNPB記録にも」と期待を膨らませた。しかし、実際は違った。56号が出たのは、10月3日の最終戦。しかも、シーズンの最終打席となる第4打席だった。
「最終戦の最終打席で王さんを超えて三冠王を手にするなんて、カッコイイじゃないですか。この野球マンガのようなドラマティックな記録達成により村上の不振は大きく取り上げられませんでした」(前出・スポーツ紙記者)
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