【渥美清の生き方】しょせん人間は孤独…自分の最期を「板橋のほうの職安脇のドブに、頭を突っ込んで死んでるよ」

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「板橋のドブで死んでるよ」

 子どものころの生活は貧しく、病弱だった。

「でも、大変な知性の持ち主。人生の深いところをよく見ていた。手ぶらで土の上を歩ける俳優と言ったら、渥美さんぐらいしかいないのではないか」

 そんな声もある。渥美さんは自分の最期を友人に語ったことがある。

「板橋のほうの職安脇のドブに、頭を突っ込んで死んでるよ」

「板橋のほうの職安脇」というのが、何ともいえないリアリティーがある。板橋とは東京23区の北側にあり、渥美さんが少年時代を過ごした街。淡々と語りながら、あの細い目が次第に暗くなっていたのだろう。

 暗い目といえば、イッセー尾形さん(71)も同じような視線を感じた一人である。新宿・紀伊國屋ホールで一人芝居を演じたとき。

「大きな劇場に出たのは初めてだったので緊張しました。お客さんは笑ってくださったのですが、笑わない人が一人だけ、右前方にいるのが分かりました。どんな人なのか確認するのが怖かった。でも、意を決し、そちらに視線を向けてみました」

 ハンチング帽をかぶった四角い顔の人。あとで渥美さんだと知った。

「余計なものをすべて捨てて、静かにじっと遠くを見ているようでした」

 心の支えにしていたのは俳句だった。俳号「風天」。作品からは彼の人生観が垣間見える。

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