四代目「猿之助」誕生の裏側に香川照之、猿翁の“密約”が 「跡継ぎが生まれないものと一門は理解」
跡継ぎが生まれないものと理解
一方で四代目は襲名の際、
〈僕の人生設計では「市川亀治郎」を一生変えないつもりだった〉
〈亀治郎に戻って死にたい〉
などと口にしていた。澤瀉屋の事情を知る関係者が明かす。
「四代目が事あるごとに“結婚はしない”と言っていたこともあって、一門はその“指向”を熟知し、将来も後継ぎは生まれないものと理解していました」
それを承知で三代目は跡を継がせたわけだが、
「四代目は、自分はあくまで團子への“中継ぎ”であるという意識を常に持ち合わせてきました。実際に三代目から襲名を持ちかけられた際、“いずれは中車の息子に返すとして、それまでは自分が継がせてほしい”との意思を示していたのです」(同)
三代目に反旗を
子を作らないという保証のもと、いわば“密約”の上に大名跡は守られてきたのだが、実は知られざる危機もあったという。
「20年近く前になりますが、亀治郎が『伯父さんのスーパー歌舞伎のような変なものはやりたくない』と、三代目に反旗を翻したことがありました。実際には三代目が血筋より芸を重んじたことに反発を覚えたといい、“自分は名門の家柄なのに、由緒のない家の弟子たちの方がいい役をもらっている”と、すねてしまった。そうした屈折が、襲名時の発言へと連なっていったわけです」(同)
四代目は12年の襲名直前、親しい仲間の集まりで、
〈團子がボンクラだったら継がせられない。今度は僕の意思で決める。(香川が継がせたがっていても)歌舞伎はそんなに甘いところではない〉
などと言い放っていた。その傲慢さは、今回引き起こした悲劇と決して無関係とはいえないのではあるまいか。
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