四代目「猿之助」誕生の裏側に香川照之、猿翁の“密約”が 「跡継ぎが生まれないものと一門は理解」

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 騒動の渦中にある猿之助が、大名跡の四代目を襲名したのは2012年6月。実は、伯父にあたる三代目(現・猿翁)から受け継ぐに際しては、いとこである香川照之(57)=市川中車=の“思惑”も大いに影響したというのだ。

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 演劇担当記者が言う。

「三代目は03年、博多での公演中に病気で降板し、以後は車椅子の生活になってしまいました。梨園では長男が後を継ぐのが原則だとはいえ、香川は68年に三代目と離婚した浜木綿子(はまゆうこ)に引き取られたこともあり、長らく歌舞伎から遠ざかっていた。そこで、今後の澤瀉屋(おもだかや)のけん引役として亀治郎が選ばれたのです」

 四代目と時を同じくして、香川も九代目市川中車を襲名。40代半ばを過ぎての梨園デビューと相成った。

「香川が俳優と二足のわらじを履く決意をしたのは、ひとえに04年に生まれた長男・政明君のためでした。歌舞伎役者に育て、ゆくゆくは猿之助の名を継がせたいと思ったからに他なりません」(同)

徐々に雪解け

 久しく断絶が続いていた父・猿翁との関係は、後妻である藤間紫(09年に死去)の口添えもあって徐々に雪解けが進んだといい、

「これと前後して、いとこ同士の香川と亀治郎が偶然、祖母の墓参りで顔を合わせ、意気投合するのです。亀治郎もまた、香川と三代目との関係修復に力を貸し、そこから中車襲名へとつながっていきました」(同)

 11年9月、襲名が発表された際に香川は、

〈今年の春から父と同居している〉

〈猿之助の名前は140年続く。長男がいて、その船に乗らないわけにはいかない〉

 などと吐露していた。その長男もまた12年6月、五代目市川團子(だんこ)として初舞台を踏んでいる。

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