強制性交容疑の「山川穂高」はたびたび愛妻家をアピール 「ウチの嫁はやばいですよ。何も怒らない」本人の発言から見える慢心
沖縄に飛んだ恩師
2009年、高3年の夏、山川は沖縄大会の決勝に進んだ。相手は興南。中部商は3回裏に1点を先取し、無死満塁のチャンスが続く。3番が三振に倒れワンアウトで、4番の山川が打席に立った。
相手ピッチャーは2年生エースの島袋洋奨(30)。卒業後は中央大学に進み、2015年から19年までソフトバンクホークスに在籍した。
島袋は8球を全力投球し、山川は見逃しの三振。この名勝負は地元紙の琉球新報が翌日の朝刊で大きく取り上げた。
山川は高2の秋にレギュラーに定着し、高校通算27本塁打を放った。高3夏の甲子園予選、沖縄水産との準決勝で放ったバックスクリーン直撃弾は今でも語り草だ。しかし、地元メディアは山川のことを大きく取り上げたが、沖縄を離れるとアマチュア野球関係者でも彼の名を知る者は少なかった。
ところが、沖縄から遠く離れた岩手県花巻市の富士大学に、山川に注目した関係者がいた。当時、野球部の監督を務めていた青木久典氏(50)が情報をキャッチし、わざわざ沖縄を訪れたのだ。週刊ベースボール(2019年1月21日号)が掲載した「青木久典 山川穂高へのメッセージ」から当該部分を紹介しよう。
《沖縄の知人から「沖縄にすごいバッターがいる」と聞いたんです。そんな話はザラにあるので、私は「そんなにすごいの?」と半信半疑で。それでも「まずは見に来て」と言われたので、彼の3年夏の大会を見に、沖縄へ飛びました》
満塁打で注目
青木氏は前述の興南との決勝を球場で観戦し、あっという間に惚れ込んでしまったという。
《ホームランこそ出なかったんですけど、「火の出るような」という表現がぴったりの、高校生ではあり得ないような打球をレフトに打ったんです(結果は左前安打)。それを見た瞬間、「こいつはすごい」と心を揺さぶられました。前の打席で凡退したんですが、次の打席ではきっちり結果を残した。その対応能力と打球の速さに驚かされました》
《ただ、彼は母子家庭で一人っ子だったんです。手塩にかけて育てた一人息子が沖縄を出ることに対し、当初はお母さんのほうに抵抗があったようです。ましては縁もゆかりもない岩手の花巻市ですから。彼に対する思いも含めて、そこは時間を掛けて説明しました。最終的には「この人だったら預けてもいい」という言葉をいただきました。そして彼には「4年後、必ずプロに行かせる自信がある。一緒にやろう」と言いました》
富士大学の野球部に入部した山川は、1年春から4番が定位置。すぐにチームを引っ張る存在となった。北東北大学リーグでは花形選手の一人となり、地元メディアは節目節目で活躍を報じていた。しかし、全国的な知名度は得られなかった。
そんな山川に転機が訪れたのは、2011年7月に開催された第38回日米大学野球選手権大会だった。2年生ながら長打力を買われて代表に選出、第1戦に5番DHで出場すると、満塁ホームランを放った。1979年、巨人の原辰徳監督(64)が東海大学の学生だった時にも満塁弾を記録しているが、それ以来という快挙だった。
2013年、4年生となった山川を週刊ベースボールが取材している(註1)。山川は「大学日本代表に選ばれた2年時から考えていることですが、すべての行動に責任が伴います。常に人から見られていることを自覚して、発言にも人一倍、気をつけています」と神妙に語っている。今の山川こそ噛みしめなければならない言葉であることは言うまでもない。
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