アボリジニ差別と闘った女子テニス「グーラゴング」 オーストラリアテニス界の礎に(小林信也)
2021年ウインブルドン女子シングルスで優勝したアシュリー・バーティ(豪)は大会前、師と仰ぐ先人に電話を入れた。
「あなたが、ウインブルドンで優勝した時に着ていたウェアと似たデザインのアウトフィットを着たいと思っているんです」
相手はイボンヌ・グーラゴング。ちょうど50年前、オーストラリア人女性で初優勝した母国のレジェンドだ(以上、テニス誌「スマッシュ」内田暁氏の記事を参照)。
バーティは15歳でウインブルドンジュニア選手権を制し、「天才少女」と呼ばれた。その重圧に苦しみ、18歳の頃にはテニスから逃げたいと本気で思い詰めていた。周囲の大人は温かい言葉で励ましながら、テニスを続けるべきだと強く説得する人ばかりだった。そんな中で、「釣りにでも行きなさいよ」、独特の言い回しで自由の扉を開いてくれたのがグーラゴングだった。
偉大な先輩に背中を押され、バーティはきっぱりとコートを離れ、クリケットの女子リーグに参加した。そして、重圧や束縛から逃れて2年後、20歳になって復帰した。もしあのまま続けていたら、生涯テニスと決別していたかもしれない。稀有(けう)な才能を輝かせる未来もなかっただろう。
二人には、家族のように感じ合う強い絆があった。グーラゴングは両親ともにオーストラリア先住民のアボリジニ。バーティの父親もアボリジニの血を引いている。互いに同じルーツを持っている。それがいっそう心を深く結びつけた。
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