市川猿之助、性被害を受けた人数は2桁か 心中に使用した薬の入手経路は?
男性マネジャーへの遺書
猿之助が倒れていた半地下のスペースでは、自身の「遺書」とみられるものが見つかった。一点はスケッチ用のキャンバスに数行、書き留められており、
〈愛する○○ 次の世で会おうね〉
と、第一発見者である男性マネジャーを名指しし、文末に「たかひこ」と猿之助の本名が平仮名で記されていた。もう一点はこの男性を「養子にする」「財産の相続人にする」といった内容で、キャンバスは壁に立て掛けられていたという。
翌日に退院した猿之助は、
〈家族会議を開いた〉
と口にし、「自殺」の結論に至ったと説明している。さる舞台関係者が言うには、
「18日発行の『女性セブン』に、猿之助が役者やスタッフを相手にパワハラや性加害に及んでいるとの記事が掲載されました。記事によれば、猿之助が直撃取材を受けたのは15日の夜。疑惑について質され“答える義務はありません”と回答を拒んでいたのですが、ほどなく劇場や、公演の製作を手がける松竹の関係者にもうわさが広まっていきました」
とのことで、
「記事の内容は、発行前日の17日にはすでに関係者に出回っていました。この日はたまたま公演の休演日で、周囲も猿之助から詳しい話を聞き取ることができないまま18日を迎えてしまったのです」(同)
「カメちゃん」と溺愛
亡くなった父・段四郎は、先代猿之助(現・猿翁)の弟にあたり、2013年に息子の猿之助襲名披露公演の際に倒れて以来、舞台から遠ざかっていた。さる梨園の関係者によれば、
「最近では認知症を患って寝たきりに近い状態が続き、要介護認定を受けて妻の延子さんが世話をしていました」
手描き友禅の図案家を父に持つ京都出身の延子さんは1974年に段四郎と結婚。翌年出産すると、“息子ひとすじ”だったという。
「猿之助は83年に市川亀治郎を襲名しましたが、延子さんは彼が成長しても変わらず『カメちゃん』と呼んで溺愛してきました。段四郎さんが仕事で留守がちだったこともあり、息子の学校行事に積極的に参加するなど、二人家族のような密着度でした」(同)
あるいは、そのかわいい一人息子が醜聞に塗れていく姿を見るにしのびないと感じたのかもしれない。
「関係者の間ではもっぱら、気丈に一家を支えてきた延子さんが猿之助から『死にたい』と持ち掛けられ、悲観して心中を決意したのではとささやかれています」(同)
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