小倉少子化担当大臣、「複雑な家系図」を“腹違いの兄”が明かす 2度のスピード離婚の原因とは
「ありゃ本物だ」
東京都多摩市出身の將信氏は神奈川県の名門である栄光学園高校から東京大学法学部に進み、日本銀行に就職している。自民党の公募に応じ、12年、東京都第23区から出馬。初当選した。1期生の時にテレビ朝日の島本真衣アナと結婚し、ド派手な披露宴を行うも、わずか1年半で離婚。その後、総理への登竜門と呼ばれる自民党青年局長に就任。在任中の21年にはフジテック社長(当時)のご令嬢と入籍後、こちらもわずか2カ月半で別離を切り出され、離婚と相成った。
尋常ならざる2度にわたるスピード離婚の一因として將信氏の「マザコン」説がかねて永田町でささやかれてきた。さる自民党幹部も「ありゃ本物だ」と呟く始末だが、ご本人は過去の報道で再三「マザコン」説を否定している。
華麗な経歴を誇る一方で、母との関係や離婚も含めて自らの「家庭環境」を語ったことはほとんどない。少子化対策を統べる大臣はいかなる家庭で育ったのか。その来歴をたどってみると、彼の人生は多くの「謎」に満ちていることがわかる。
その一つが冒頭に触れた王子の土地である。
複雑な生育環境
この土地は1966年に將信氏の父が購入し、翌年、地上5階建てのビルを建設している。が、將信氏が1歳になる直前の82年、このビルと土地の所有権が父から將信氏と母、彼の唯一のきょうだいである姉を含む10名の親族らに贈与されるのである。さらに、その時の登記簿を確認すると、贈与された將信氏と母、姉の姓は小倉ではなく「平野」になっている。
まだハイハイ程度しかできない赤ん坊にビルと土地が贈与され、さらに姓が違っていたという事実。そこに將信氏の複雑な生育環境が示唆されていた。
「贈与された10人は將信さんの父の前の妻やその子、愛人らなんです」
と明かすのは將信氏の“腹違いの兄”である。29年生まれである將信氏の父は確認できるだけで3度結婚しており、この兄は最初の妻の息子にあたる。
「僕の父は女性関係が派手で結婚と離婚を繰り返していました。もともと、父は戦時中に九州に疎開して、医学専門学校に入り、医師になりました。母は薬剤師をしており、九州で知りあった。僕が生まれ、50年代後半に一家で上京し、北区の十条で診療所を始めました。東京で3人の子が生まれ、母とは僕を含め4人の子を育てることになりました」(同)
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