書類送検「山川穂高」 なぜ西武は不祥事の多い球団になったのか

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名門チームがなぜ?

 西武といえば、1982年のリーグ初優勝以来、86年シーズンからの森祇晶監督(86)時代は、リーグ優勝8回、日本一6回という、圧倒的強さを誇った名門球団である。それが、近年では優勝・日本一から遠ざかるだけでなく、不祥事が相次ぐ球団になってしまった。その原因はどこにあるのか?

「一言でいえば、怖い人がいなくなったからですよ」

 というのはベテランスポーツ紙記者。

「西武が強くなったのは、規律を重んじてチームを統率した広岡達朗監督(91)からです。広岡さんというと、食事管理や禁酒・禁煙など私生活の管理が知られていますが、選手が目の前にいても、会話などコミュニケーションはコーチを通して取るなど、上意下達を徹底させていました。次の森監督は、広岡さんのような厳しさを前面には出しませんでしたが、コーチがしっかりと現場を押さえていましたから」

 後に、落合博満氏(69)の右腕として中日の黄金時代を築く森繁和氏(68)は、88年に西武で現役を終えると翌シーズンから二軍投手コーチに。

「ご本人も、元野球選手のYouTubeに出た時に明かしていますが、態度や素行の悪い選手には鉄拳制裁も辞さない厳しいコーチでした。その代わりに、ただ怒るだけでなく、その後のフォローもしっかりしていたので、森さんを慕う選手は今でも多いのです」(前出・スポーツ紙記者)

 また、相手投手のクセを見抜く天才で「走塁の鬼」としてだけでなく、名三塁コーチとしても知られた伊原春樹氏(74)、バッティングコーチとして清原和博氏(55)を育てた土井正博氏(89)ら、厳しい指導者だけではなく、選手の中にも鬼軍曹がいた。

「強い時代の西武は、投手の工藤公康氏(60)や現・西武GMの渡辺久信氏(57)など、明るく“新人類”と呼ばれたチームカラーでした。でも、リーダーの石毛宏典氏(66)はカメラの前では明るく陽気ですが、裏ではしっかり選手を叱ったり注意したりと、厳しい先輩でした。前監督の辻発彦氏(64)も同様で、野球への取り組みや考え方など、プロ野球選手として必要なあらゆる要素を伝授していました。だから一見、チャラいようでいてチームはしっかりとまとまっていて、あれだけ強かったのです」(前出・ベテラン記者)

 しかし、上述したかつての名選手がのちに監督になると、自身の現役時代とは真逆のチームになるのは不思議なところではある。

「監督はチーム、球団、マスコミなど全体を見ないといけませんから、現役の勢いのままチームを仕切ろうとするのは無理があります。だからこそ、監督・コーチと選手の間に立って、現場を仕切る、鬼軍曹的な立場の中堅・ベテラン選手が必要なんです。今のライオンズには“いい人”はいるでしょうが“怖い人”がいない。あの人を怒らすとマジでヤバい――そういう存在は、プロ野球チームでなくても、どんな組織にも必要なのではないでしょうか」(同)

デイリー新潮編集部

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