香川照之の長男「市川團子」に称賛の声やまず 名門「澤瀉屋」の救世主となった19歳の“演目以上に数奇な運命”
「團子の人生こそ、最高の演目」
團子の初舞台となった「ヤマトタケル」(12年)は三代目猿之助が86年に立ち上げた「スーパー歌舞伎」の記念すべき第1作を継いだもので、「澤瀉屋の名作」として今も語り継がれる演目だ。
「古典芸能と一線を画した新作歌舞伎に積極的な澤瀉屋は“歌舞伎界に新風を吹き込む”一門として知られ、澤瀉屋の芸が潰れると“歌舞伎界に新陳代謝が働かなくなる”との声もあるほど。その中心である猿之助を名乗る者は、常に新たな挑戦を求められ、他の一門とは違った重責を担う。團子にその任が務まらないとは思わないが、問題はそのタイミングだ」(同)
猿之助の名を継ぐことは「師匠」になることを意味するだけではない。明治座の公演でもそうだったが、座頭として猿之助が演出やキャスティング、時に脚本まで手掛けるなど、監督兼プロデューサ―の役割まで担うことになるという。
「四代目の猿之助襲名は團子と同じく12年、36歳の時だった。四代目の今後がどうなるかでも状況は変わってくるが、しばらくは澤瀉屋の“挑戦”も停滞することになるのは避けられないだろう。その期間が長引くと澤瀉屋の芸が廃れかねず、そのため團子の猿之助襲名を急ぐ声も出始めている。團子の成長と澤瀉屋存続のバランスを取るという、非常に難しい舵取りを一門関係者は迫られている」(同)
一方で、團子の泰然とした演技を見たファンらは「團子の今後こそ、最高にドラマチックな演目になる」と、いまから期待に胸を躍らせているという。