大学卒業後は3年間、学習塾で英語の講師を…キムラ緑子が語る“演劇人生の原点と現在地”

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「ずるずると芝居をやり続け、今に至るといった感じ」

――京都に戻り、再び演劇を始めたのはどうして?

「どうしてですかねぇ。分からないですねぇ……。あらかじめ将来の目標を立てて行動する方もいらっしゃいますが、私の場合はちょっと違うんです。演劇を始めた理由も友達の付き添いで見に行ったサークルがたまたま演劇だったから。それが4年間続いたのもたまたま。卒業と同時に辞めたけど、『また京都で演劇をやらない?』と声を掛けられたので、軽い気持ちで応じたんです。教えていた子供たちが進学や卒業などでちょうど一段落した時期だったこともあります。そのまま、ずるずると芝居をやり続け、今に至るといった感じです」

――京都を離れて上京したのは1984年ですね。なぜ?

「ポツポツと東京の公演に出るようになったからです。最初は短期の賃貸マンションで寝泊まりしていたのですが、そのうち『1回ぐらい東京住んでみてもいいか』と考えるようになりました。これも軽い気持ちでした。『仕事がなくなったら、京都に戻ればいい』と思っていました」

――短期の賃貸マンションで寝泊まりしていた姿が想像できません。

「いえいえ、普通に暮らしていました。劇団の仲間といろんなところに泊まっていましたよ」

――1997年には演劇人の憧れである紀伊國屋演劇賞個人賞を獲り、2005年には読売演劇大賞の優秀女優賞を受賞しました。京都から東京に出て、登り詰めました。

「そんな大袈裟な(笑)。若かったし、あんまりピンと来ませんでしたね。『あっ誉めてもらえた』という程度でした」

――達成感があったのではありませんか。

「ない、ない(笑)。賞をいただいた途端、またサラ地から始まるわけですから」

――それでは、女優としての目標は何だったのでしょう?

「幸せになること。お客さんも含めて、みんなで楽しくなりたい。ほかに望むものはありません。私の場合、お芝居をやっている時が一番幸せです」

――キムラさんは気の良い近所の主婦の役とか、普通の人を演じると絶品だと思います。普通の人こそ難しいと思うのですが、気を付けていることはありますか。

「そう言ってもらえて良かった。私、普通の人が出来ないと思っていましたから(笑)。普通の人って難しいですよね。演出家の方から『普通にやって』と言われると、『普通って何だろう?』と考えてしまいます。役柄の気持ちがちゃんと自分の体に入っているかどうかが、普通の人に見えるかどうかにつながっているんでしょうかねぇ」

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