大学卒業後は3年間、学習塾で英語の講師を…キムラ緑子が語る“演劇人生の原点と現在地”

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 「売れっ子女優は誰?」と問われると、若手ばかりを思い浮かべがちだが、ベテランのキムラ緑子(61)もその1人。ドラマや映画、舞台にほぼ切れ目なく出演している上、「グレーテルのかまど」(NHK Eテレ)や「大改造!!劇的ビフォーアフター」(テレビ朝日系)のナレーションまで務めている。7月には寸劇も交えたジャズ・コンサートも行う。キムラの現在地に至るまでの軌跡と現在の胸の内を聞いた。

「誰にでもある青春時代、それが私は演劇だった」

――キムラさんは大学生時代からの演劇人。一方で1989年にTBSのスペシャル時代劇「坂本龍馬」に出演されて以来、100本を軽く超えるドラマに登場されています。特にNHK連続テレビ小説(朝ドラ)には5本も出演しました。朝ドラは特別なものでしょうか。

「最初のころは特別に感じなかったかも知れません。でも、良い役をいただいたお陰で、私のことを『面白い』と思ってくださる方が増えました。それで初めて『朝ドラの威力って凄いんだぁ』と思いましたね。本当は昔から凄いんでしょうが(笑)」

――朝ドラ初出演は「まんてん」(2002年度下期)でした。以来、「純情きらり」(2006年度上期)、「ちりとてちん」(2007年度下期)、「ごちそうさん」(2013年度下期)、永野芽郁さん(23)主演の「半分、青い。」(2018年度上期)に登場。朝ドラは撮影現場の雰囲気も独特なのではありませんか。

「ドラマでは珍しく、出演者が集まって台本を読む『読み合わせ』やリハーサルがあって、なんか雰囲気が劇団っぽいですね。だけど、必死で演じるのは、どのドラマも一緒。朝ドラもほかのドラマも変わりません」

――1979年4月に京都の同志社女子大学に入学するまで演劇の経験はなかった?

「ええ。大学で同じ寮に入った女の子が『同志社大のサークルで演劇をやりたいから、見学に付いて来て』と言うので、一緒に行ったら、面白そうだったんですよ。だから私も入ることにしたんです」

――現在も活動が続く「第三劇場」ですね。

「はい。でも、最初はそんなに熱心にやっていたわけじゃないんです。演劇に熱が入り始めたのは大学を出てから。卒業後は淡路島に帰り、3年ほど学習塾の講師をやっていたんですが、京都に戻り、また演劇を再開したんです。そこからでした」

――大学時代は英文学科。出席しないと授業についていくのが難しい。朝から晩まで稽古が続く演劇サークルの活動との両立は難しかったのでは?

「ええ。だから、ちゃんと勉強しませんでした(笑)。でも卒業は4年でしましたよ。卒論はアメリカの女性文学者のシルヴィア・プラスの生涯について書きました。グチャグチャの英語で(笑)。あのころは、パソコンはもちろん、ワープロもなかったので、ぜんぶ手書きでした」

――在学中の1980年前後は小劇場ブーム。学生演劇も熱い時代でした。

「楽しかったですね。青春時代は誰にもありますが、それが私は演劇だった」

――帰郷した後、学習塾は自宅で開いた?

「塾をやれる建物を借りました。そこに近所の子供たちを集め、英語などを教えました」

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