【全米プロゴルフ開幕】ウッズ、松山英樹らの名勝負が繰り広げられた大会で、今年の優勝者を予測

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「全米プロは格下」の理由

 ところで、全米プロは言うまでもなくメジャー4大会の1つだが、マスターズや全米オープン、全英オープンと比べると、「なんとなく格下」と思われている向きがある。それはかつてこの大会が、ツアープロではなくクラブプロのチャンピオンを決する大会だったことに起因する。

 全米プロを主催するPGAオブ・アメリカは、そもそも全米のゴルフ場の経営や運営、ティーチングなどに携わるクラブプロを統括する団体である。所属するクラブプロのモチベーションを高め、ナンバー1を選び出す目的で、全米プロは創設された。その後、クラブプロに混じってツアープロが出場するようになり、やがて両者の比率は徐々に逆転、ツアープロの中にクラブプロが混じる形になっていった。

 1990年代まではPGAツアーの大会やそのテレビ中継では目にすることのないクラブプロが多数出場していたため、一般のゴルフファンの興味や関心は得にくかった。現在もクラブプロは出場しているもののわずか数名に絞られており、もはや「クラブプロの大会」という感は皆無に近い。しかし、そんな背景があったせいか、どうも全米プロは「格下」に見られがちである。

 だが、ゴルフ界の歴史に残る名勝負や名シーンは、全米プロでもたくさん繰り広げられている。

ウッズの名勝負の数々

 イリノイ州シカゴ近郊の名門メダイナCC で開催された1999年大会は、タイガー・ウッズ(米)がプロデビューしたばかりの当時19歳のセルヒオ・ガルシア(スペイン)と優勝を競い合った。驚いたことに、大観衆がより多くの声援を送ったのは、ウッズではなくガルシアだった。

 とはいえ、結果はウッズの勝利となったのだが、あの優勝がウッズにとって1997年のマスターズに次ぐメジャー2勝目であったことを認識している人は多くはないと思う。2位に12打差でマスターズを圧勝したウッズであっても、次なるメジャー2勝目を挙げるまでには2年もの歳月を要したのだ。もしかしたら、ガルシアを下したメダイナCCでの勝利がなかったら、以後、次々にメジャー優勝を重ねていった「王者ウッズ」は誕生していなかったのかもしれない。

 その後も印象的な展開となった全米プロには、常にウッズの存在があった。2000年大会は、ウッズと当時は無名のボブ・メイ(米)の一騎打ちとなった。このときも大観衆はメイにエールを送ったが、勝利したのはやっぱりウッズだった。

 2002年大会では、長年、下積み生活を送ってきたリッチ・ビーム(米)が、ウッズらの追撃をかわしてメジャー初優勝を遂げた。ウイニングパットを沈めた直後、18番グリーン上で喜びに酔いしれながら踊り出したビームのビクトリー・ダンスは大きな話題になった。

 そして2009年大会はウッズとY・E・ヤン(韓国)の戦いとなり、プレーオフを制して勝利したのはヤンだった。米国では無名に近い存在だったヤンが最強王者ウッズを倒したことは、当時のゴルフ界においては天地がひっくり返るほどの大事件だった。以降、ウッズの名は、全米プロのビッグニュースから消えていく。

 2010年大会では、ダスティン・ジョンソンがギャラリーに踏み荒らされたバンカーを認識できず、バンカー内でクラブをソールして(地面に付けて)罰打、プレーオフ進出を逃すという前代未聞の出来事が起こった。

 2017年大会では、最終日に松山英樹が単独首位に立ち、日本人男子選手として史上初のメジャー優勝に迫った。しかし、折り返し後の松山は別人のように崩れ、終わってみれば5位タイ。勝利したのはジャスティン・トーマス(米)だった。

 そして2021年大会では当時50歳だったフィル・ミケルソンが勝利を挙げ、史上最年長のメジャー・チャンピオンに輝いたことは記憶に新しい。

 そんなふうに全米プロでは、「信じがたい」と思えるほどのさまざまな驚きのドラマが繰り広げられてきた。

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