義父の遺体を確認した僕に警察は「もう一人も確認を」と言った 被害者と加害者の身内になってしまった息子の手記

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 母が義父を殺したあとに自ら命を絶つ――18歳の春にそんな凄絶な経験をした俳優・前田勝さん。

 前田さんはその体験を著書『遠い家族―母はなぜ無理心中を図ったのか―』につづっている。前回の記事では、警察に求められて義父の遺体を確認させられたところまでを見た。2回目の今回は、さらに襲った悲劇とその時の心情を前田さんに振り返ってもらおう(以下、同書をもとに再構成しました)。

【事件に至るまでの概要】
 前田さんは韓国生まれ。母は韓国人、父は台湾人。3歳の頃、両親は離婚。その後母親は一人で日本に出稼ぎに行って再婚。前田さんは12歳の時に母親に呼ばれて日本に。

 しかし2002年、義父の浮気により精神が不安定になった母は、夫を殺したのちに自死。大学入学を目前にした前田さんを襲った悲劇だった。

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「もう一人の遺体」は

 警察署の案内された部屋で、一人不安に駆られながらしばらく待機していると、「もう一人の遺体確認もして欲しいからついて来て」と言われた。もう一人。母の今までの言葉を思い返すと、それは愛人なのか。それとも……。

 廊下を歩きながら、どちらでもあって欲しくないと願ったが、ここまでくると、それはないと悟ってきた。そして気がつくと、涙が流れ始めていた。こんな考えはだめだと思いながらも、どうか母であって欲しくない。そう願いながらついていくと、屋外に出た。その先に倉庫のような建物があり、入口が大きく開けられている。その真ん中に、なにか台のような物があるのが、遠くからでも見える。

 一歩ずつ近づいていくと、それが棺であることがわかった。枕元には、線香と火が灯された蝋燭が立てられていた。どうか、どうか母ではありませんようにと、泣きながらも必死で祈り、ゆっくりと棺の中を覗くと、そこには母の体が横たわっていた。

 義父のときとは違い、母の顔がすぐに見える。目はうっすらと開いていて、口もほんのすこし開いていた。そこで母の死因を知らされた。11階建てのマンションの屋上からの飛び降り。自殺で間違いない、と。飛び降りて死んだ人の死体を見たことはないが、それにしても母の体は綺麗だった。ただ眠っているようにしか見えない。右半身は見えないようになっていたが、見えている左半身は、傷一つなく綺麗だった。ただ眠っているだけで、揺すり起こせば、すぐにでも起きてきそうだった。

 でも、間違いなく二度と起きてくることはない。母と今まで過ごした日々が、急に頭に浮かび、涙が止まらない。母が死んだ。僕のことを愛していると言っていたのに、結局は義父を取った。一番愛している義父を殺し、自らも追いかけて死んでいった。

 無理心中。ニュースで何度か聞いた言葉。その言葉の意味がわからなくて、母に聞いたことがある。人を無理矢理殺して、そのあとに自分も死ぬこと。それが目の前で起きた。僕は泣きながら母が憎いと思った。僕はまたしても母に捨てられた。

叶わなかった夢

 この頃の僕には、一つの夢があった。それは、母と台湾の父と、僕の三人で一枚の家族写真を撮ることだ。すぐには難しいかもしれない。何十年とかかるかもしれない。でも、いつの日か、共に60歳、70歳を過ぎた頃、母が穏やかになり、父の色々なことを許せたときに。僕も40歳くらいになって、母のことを、ちゃんとお母さんと呼べるようになって、みんなが今よりも、お互いのことを受け入れられるようになったときに、家族写真を撮る。今は無理でも、その夢は持ち続けよう。そうすればきっといつか。そう信じていたのに。その夢は叶えることができなくなった。

 母の遺体確認をしたあと、再び狭い部屋の中に戻された。泣きすぎて頭がぼうっとする。どうやってその部屋に戻ったかは覚えていない。そこで改めて事情聴取されることになった。

 義父の遺体確認で、すでにパニック状態になっていた僕は、母の遺体確認をしたあとは、溢れてくる涙を止めることができなかった。警察の人からなにを聞かれても、ただ泣くことしかできなかった。「辛いと思うけど、なにか答えてくれると助かる」と言われても、なにも答えることができなかった。ただただ、ずっと泣いていた。

 僕があまりにも泣いているからか、警察の人も、途中から涙をこぼし始め、泣きながら調書を書いていた。なにも答えていないのに、それでもその人は、一緒に泣きながら調書を終わらせてくれた。僕は泣きすぎて、最後の方はもう涙も流れず、ただ呆然としていた。人は悲しすぎると、涙が出なくなるんだと、このとき初めて知った。

 母がどんなに義父を殺す、殺してやると言っても、本当に実行するとは思えなかった。義父は屈強な男性で、母は小柄な女性で、体格も倍ほど違うから、できるわけがないと思っていた。人が人を殺すなんてこと自体が簡単にできるとも思えなかった。

 でも、母はそれをやってのけた。そして、宣言通り、自らも命を絶った。母の覚悟をどこかで甘く見ていたんだ。できるわけがない。やれるわけがない。万が一、本当に義父を殺そうとしたとしても、体格と力で勝る義父に止められるだろうと。後悔。母のことを止められなかった後悔。そのせいで義父を、母を失った。ちくしょう。ちくしょう。

 深夜だったこともあって、朝まで警察署で過ごさせてもらった。つけていたコンタクトは乾いて目が痛いし、泣きすぎて頭がぼうっとする。朝まで一人で部屋の中で呆然と座っていた。

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前田 勝(まえだ しょう)
1983年、韓国人の母と台湾人の父の下、韓国で生まれる。7歳まで韓国、12歳まで台湾で暮らす。日本人と再婚した母に呼ばれて12歳で来日。大学入学直前、母が義父を殺して無理心中を図る。大学中退後、東京NSCに入学。卒業後は舞台俳優となる。客演の傍ら劇団を主宰し、母の事件を描いた舞台を上演。2018年、ドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」に出演し、母の生涯をたどる。同番組は北米最大級のメディアコンクール「ニューヨーク・フェスティバル2019」ドキュメンタリー・人物伝記部門で銅賞を受賞。2021年「茜色に焼かれる」(石井裕也監督)で映画初出演。舞台にも立ち続けている。

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 前編【「顔中にガムテープの遺体が自宅に…」母親が起こした殺人事件を告白 当時18歳だった俳優の凄絶な過去】からのつづき

※前田勝『遠い家族―母はなぜ無理心中を図ったのか―』から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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