【袴田事件再審】ボクシング仲間が証言する“20歳の巖さん”「根性があって打たれ強かった」

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 3月20日の検察の抗告断念からわずか3週間後の4月10日、袴田事件の再審の進行を決める三者協議(裁判所、検察、弁護団)の第1回目が静岡地裁(國井恒志裁判長)で開かれた。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起きた一家4人殺害事件で犯人とされた袴田巖さん(87)と姉のひで子さん(90)の戦いを綴る「袴田事件と世界一の姉」の33回目。かつてプロボクサーとして活躍した巖さんと対戦した経験がある男性に話を聞いた。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

検察が3カ月の判断猶予期間を求める

 再審の進行を決める三者協議が初めて行われた4月10日、静岡地方裁判所の隣にある駿府城公園の桜は早くもほとんど散っていた。

 昼過ぎから裁判所に隣接する弁護士会館で協議していたひで子さんと西嶋勝彦弁護団長をはじめとする弁護団は、午後4時からの三者協議のために裁判所に入った。

 裁判所の外で地元放送局の記者などに取り囲まれた弁護団の小川秀世事務局長は、協議の内容を簡単に説明して「あとは会見で」と述べた。静岡県経済産業会館の会見場には、東京などから集まった多くの報道関係者が陣取っており、袴田事件の注目度の高さを感じた。

 小川弁護士の説明によると、弁護団は検察に、有罪立証をせず無罪論告を行ったことを巖さんに謝罪することを求めたが、検察側は「7月10日までに方針を示す」と態度を保留した。5月から7月まで3回の協議日程は決まったが、検察が判断の猶予期間を3カ月求めたことで、再審が遅れる可能性が出てきた。

 協議の感想について、ひで子さんは「検察は下ばかり向いていて、何を考えて何を言いたいのかわからなかった」と首をかしげた。

 さらに、「ここまでくれば半年や1年くらい、どうってことない。(中略)もう先は見えている。私は安心しております」と微笑んだ。彼女の「どうってことない」を聞くと、いつも元気が出てくる。

 再審公判で主張したいことを問われたひで子さんは「私ではなく巖が言いたいことを言います。裁判が始まったら考えておきます」と話した。

証拠排除された供述調書が取り上げられる可能性も

 ここへきて検察が求めた3カ月の猶予について、西嶋弁護団長は「けしからん。検察の立証方針が示されなかったことはまことに心外。証拠関係からして有罪立証なんかできっこない」と怒りを見せた。

 村崎修弁護士は「検察は有罪立証ができないから抗告断念したのに、(猶予を求めることは)おかしい。裁判所もおかしいですよ。記者の皆さんはもっと厳しく書いてくださいよ」と訴えた。

 そもそも、検察の特別抗告断念から三者協議の実施まで驚きの早さだった。弁護団もこの早さに慌てたが「國井裁判長のやる気が窺える」と大いに期待していた。しかし第1回の協議では、同裁判長が3カ月の猶予を求めた検察に対して早くするように促すこともなかった。

 有罪立証において重要になってくるのは供述調書だ。1968年の静岡地裁での一審で有罪認定の根拠になったのは、吉村英三検事が書いたたった1通の供述調書で、それが1980年の最高裁での確定判決まで踏襲された。供述調書は計45通のうち44通が証拠排除された。

 再審請求審で証拠開示された巖さんの取り調べ時の録音などを分析した心理学者の浜田寿美男・奈良女子大名誉教授は「排除された44通にこそ、袴田さんが事件に全く無知であること、つまり『無知の暴露』が残されている」としている。

 筆者が「静岡地裁の一審で証拠排除した44通を再審で俎上に乗せることがあるのですか?」と尋ねると、小川弁護士は「控訴審では取り上げられましたが、あらためて俎上に乗る可能性もある」とした。

 また、「裁判所は続審(それまでの審理を基礎として新たな訴訟資料を加味して審理する)で臨む姿勢です。覆審(それまでの審理と無関係に審理する)だと証拠を全く出さないで終わることもある」とその理由について説明していた。

 西嶋弁護団長は「死刑冤罪だった財田川事件や免田事件、松山事件、島田事件も、再審でも検察は新証拠を出して有罪立証を求めた。しかし、袴田事件は新証拠など出しようもない。再審請求審の決定で、検察の主張は完膚なきまでに否定された。そんな検察が新証拠を出すことも許されない。その上、旧証拠では有罪にすることなどできない」と力を込めた。

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