「ラーメン組長」が娘婿を刺殺された顛末 6代目山口組・司忍組長が激怒した一件とは

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娘婿の殺害

 榊氏によると、「その頃、湊興業には若い衆が10人いた」という。

「そのうち5人が榊氏の手下でした。彼らはそれ以前に私が組長として率いていた義竜会に所属していた組員だったとのこと。義竜会の解散後、榊氏が5人を引き連れて余嶋組長の配下となったというわけですね。ともあれ今回、余嶋組長が不幸な事件に巻き込まれなければ知ることがなかったエピソードであり、不思議な縁だなと感じました。榊氏は余嶋組長について“面倒見が良かった”と言っていましたね」(同)

 竹垣氏と余嶋組長は、配下の組員を通じてつながっていた、ということになるのだろうか。

 その後の2003年、余嶋組長の娘婿が5代目山口組傘下の三笠組(本部:兵庫県神戸市)の組員に殺害される事件が発生した。

「三笠組が、5代目山口組傘下の中野会から同傘下の尾崎組(本部:徳島県徳島市)に移ってからの事件です。当時21歳だった余嶋組長の娘婿が神戸・須磨で集団のケンカに巻き込まれ、三笠組の若い衆に刺殺されたということです」(同)

弘道会は黙っていなかった

 娘婿はすでに湊興業の組員だったという。5代目山口組としては傘下組織同士の揉め事になるわけだが、直参組織トップの娘婿を殺害された弘道会は黙っていなかった。

「弘道会会長の司忍・山口組若頭補佐(当時)は激怒。三笠組の組長は、厳しく叱責され、結果的に絶縁処分となりました」(同)

 三笠組の組長はすでに鬼籍に入ったという。

 人間関係を辿っていくと、どこかで不思議な接点があり、またどこかに遺恨が存在しているのが彼らの世界ということだろうか。今回の事件でも、この複雑な人間関係を解きほぐす必要があるのかもしれない。

デイリー新潮編集部

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