ChatGPTは「率直にスゴいが、世界について何も知ることはできない」 専門家が語る「人間と機械のあるべき関係」
日々進化し続ける「チャットGPT」の有様を、人類はルビコン川を越えたと例えるムキもある。いずれは人類を従える“全能の神”となり得るのか。はては滅亡に導く“悪魔”と化すのか。人間と機械のあるべき関係を、経済思想や現代社会論が専門の京都大学大学院准教授・柴山桂太氏に聞いた。
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【写真を見る】ChatGPTを運営する「オープンAI」のサム・アルトマン
車という機械がなかった江戸時代の人々は、現代人とは比べものにならないほど健脚で、長い距離を歩けたといわれています。
道具は何でもそうですが、便利だからと多用すれば、人間の能力にふたをしてしまう懸念が生じます。
とかく現代人は、知らないことが出てくると、すぐ機械に尋ねる癖がついてしまっています。本来、知りたいことを他者に聞けば、コミュニケーションを通じて思わぬ方へと世界が広がる。書物をひもとけば、己の想像力は文字列の奥へ、奥へと広がっていくでしょう。
にもかかわらず、いちいち人に話を聞き、本を開くのは煩わしいからと機械に尋ねれば、世間一般で“正しい”とされる答えは瞬時に得られても、それは機械に合わせて、世界を小さく狭く、理解することにしかならないと思います。
「チャットGPT」をはじめとする人工知能、AIという機械の進化によって、われわれは「検索する」という最低限の知的な能動性さえ、放棄してしまっていいのかという気がします。
便利かもしれないが…
たとえば僕は政治や社会問題には多少明るくても、芸能界のことについては何も知りません。とある有名人について“どんな人か”とAIに聞けば、一定の“知識”を得ることができるかもしれない。今後その精度が事実に近づくほど上がってくれば、簡単に世間一般の出来事を知るには、便利なのかもしれません。
けれど、AIに聞いて答えてくれたものは、本当に“人間の知識”として血となり肉となるでしょうか。
その場でAIの回答を“なるほど”と感じても、それはすぐ忘れる程度の薄い知識にすぎません。影響を受けやすい子供のうちから、そうした機械に触れるのはよくないと思います。
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