球史に残る伝説のプレー!敬遠球を“大根斬り”でホームランにした唯一の男、柏原純一

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「バットが届いたら、是が非でも打ってやろう」

 2対0とリードの日本ハムは、6回2死三塁のチャンスで柏原に打順が回ってきたが、西武ベンチは敬遠を指示した。次打者・ソレイタは、左サイドの永射保を「顔を見るのも嫌」なほど苦手にしており、柏原を歩かせれば、労せずしてスリーアウトが取れるからだ。

 だが、柏原は「バットが届いたら、是が非でも打ってやろう」と打席に入る前から打ち気満々だった。

 走者が三塁にいるため、サード・スティーブはピッタリ密着し、敬遠なので、ショート・石毛宏典も二塁寄りに移動して、三遊間はガラ空きだった。そこに狙い打てば、タイムリーになると確信したのだ。もし凡打しても、「ソレイタは打てないから、僕が打ちにいきました」と大沢啓二監督への言い訳まで考えていたというから、肝が据わっている。

 1、2球目は、外角に大きく外れ、バットが届きそうになかったが、3球目は「ソレイタを打ち取ることで頭が一杯だった」という永射が、2ボールとなり、フッと気が抜けた分、ストライクゾーン近くに入ってきた。

「いける!」。柏原が左足を目一杯踏み込んで、“大根斬り”で思い切り振り抜くと、バットの真芯に当たった打球は、高い弾道でゆっくり舞い上がり、唖然として見上げるレフト・テリー、センター・蓬莱昭彦を尻目に、左中間席に飛び込むダメ押し2ランになった。

 巨人・長嶋茂雄も1960年7月17日の大洋戦で敬遠球をランニングホームランにしているが、スタンドに入る敬遠球本塁打は、あとにも先にも柏原だけ。この快挙は、翌日のスポーツ紙で、広島・ガードナーの本塁踏み忘れによる“幻の本塁打”とともに、二大珍プレーとして大きく報じられた。

愛弟子「新庄剛志」も“敬遠急サヨナラ打”

 前期(当時のパ・リーグは2シーズン制)は4位に終わり、後期開幕後も4勝5敗1分ともたついていた日本ハムだったが、7月14日から敬遠球ホームランを挟んでの9試合を7勝1敗1分のロケットダッシュで波に乗ると、2位・阪急に3ゲーム差で2シーズン制後初V。

 柏原はロッテとのプレーオフ第1戦でも、村田兆治から値千金のソロを放ち、1対0の勝利に貢献するなど、東映時代以来19年ぶりのリーグ優勝の立役者になった。

 また、同年7月5日のロッテ戦では、6回2死三塁、プロ11年目で初めての本盗を決めているが、これも「初めからやる気で、監督からもOKのサインが出たんでやったんだ」と相手の意表をつくプレーは、お手のものだった。

 さらに現役引退後、阪神コーチ時代の1999年には、新庄剛志にマンツーマンで高めの敬遠球を打つ極意を伝授し、6月12日の巨人戦で“師弟コンビ”による敬遠球サヨナラ打を実現させている。

 柏原コーチのアイコンタクトによるゴーサインで見事ミラクル打を放った新庄が「ショート(二岡智宏)が二塁ベース寄りに守っていたので、三遊間に転がせばヒットになると思った」と、18年前の師匠と同じことを言っていたのも興味深い。

 そんな思わずビックリのシーンも、2018年に申告敬遠制が導入されてからは、見ることができなくなった。申告敬遠に味気なさを感じ、たとえ敬遠球といえども、何が起きるかわからなかったスリリングな時代の野球を懐かしむファンも多いはずだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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