「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか
反安保を支援した財界
ちょうどこの頃、韓国から日本に進出したのが統一教会だった。南平台にある岸の自宅の隣に本部が置かれ、反共を旗印に「国際勝共連合」が生まれる。左翼に敵愾心を燃やす岸には、この上なく心強い援軍だったはずだ。
これ以降、両者は連携を深めるが、反共のためなら「霊感商法」など取るに足らなかったのだろう。だが、ここで岸は重大な勘違いをしていた可能性がある。
拙著『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』(文藝春秋)で述べたが、岸を憎んだのは共産勢力だけでなく、じつは日本の財界もだった。総理就任以来、岸は、あの満州を彷彿させる経済統制を進めていた。戦中からの友人を政府の要職に就け、企業への介入を強め、それに危機感を抱いたのが財界だ。
このままだと、本当に岸の家来にされてしまう。口では資本主義、自由主義と言ってるが、あの満州国と同じだ。体のいい独裁じゃないか──これが彼らの本音ではなかったか。
そして財界の一部は、右翼の黒幕の田中清玄を通じ、デモ隊の左翼学生を支援していた。右とか左とかイデオロギーではないのだ。
それでも晋三にとって、祖父は尊敬の対象以外の何物でもなかったようだ。
「祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった」(『新しい国へ』)
やがて成長した晋三は、政策も吟味せず革新、反権力を叫ぶ人々をうさんくさく感じ、「保守」という言葉に親近感を覚えたという。そして祖父と共に左翼と戦ってくれた統一教会、その人脈を受け継いでいく。
岸は90歳で天寿を全うするが、その2年後の1989年、東西対立の象徴だったベルリンの壁が崩壊した。やがてソ連が解体し、冷戦も終わるが、統一教会と自民党の関係は残った。そして、それは、かつての反共の同志から目先の選挙支援に変わってしまう。
まさにその間、山上徹也は、家庭を崩壊させた統一教会、それとつながる岸信介、安倍晋三へ憎悪を募らせていた。どす黒い感情はマグマのようにたまり、その帰結点が2022年7月8日、大和西大寺駅前の銃声だった。
そこへ至るまでの薄暗い影、それは75年前のクリスマス前日、巣鴨拘置所を出た岸から伸びていた。その影に何が隠されたか、封印が解かれるのは、これからである。
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