「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか
75年前、GHQの指示で巣鴨拘置所から岸信介氏が釈放された。その岸氏は後に統一教会の教祖、文鮮明氏の釈放を求める文書を米大統領に送る。共産勢力の脅威に対抗するためだ。安倍元総理暗殺の裏で受け継がれてきた保守人脈と宗教の癒着に迫る。【徳本栄一郎/ジャーナリスト】
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【写真】岸信介がレーガンに送った、文鮮明釈放の“嘆願書”の中身
「やがて起きる出来事は、必ず事前に影を投げかけている」
この予言めいた言葉を残したのは、古代ローマの政治家で哲学者でもあるキケロだった。歴史を変えた戦争や革命、あるいは感染症も決して唐突に襲ってくるのではない。そこに至るまで、いくつも前兆があり、多くの思惑が重なり、やがてクライマックスへ導かれる。
その意味で、奈良の大和西大寺駅前で起きた安倍晋三元総理の暗殺も、そうしたエピソードの一つかもしれない。
世界平和統一家庭連合、旧統一教会の信仰にはまり、多額の献金を繰り返した母、そのために家庭が崩壊したと恨む山上徹也容疑者は、安倍元総理に2発の銃弾を撃ち込んだ。
報道によると、本人は取り調べに対し、「安倍は統一教会とつながりがあると思っていた」「教団を海外から日本に招き入れたのは、(安倍の祖父の)岸信介元総理だ。だから安倍を殺した」旨を供述したという。
その論理はおよそ身勝手で、到底正当化できるものではない。が、凶行に至るまでに、過去、薄暗く長い影が差していたのも事実だ。それを象徴したのが、本誌(「週刊新潮」)2022年7月28日号で紹介した、岸元総理がロナルド・レーガン米大統領に宛てた書簡だった。
日付は1984年11月26日、脱税容疑で起訴され、米連邦刑務所に収監された統一教会の創始者、文鮮明を自由の身にしてほしいという。
〈文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、出来る限り早く、彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います〉
〈文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております〉
すでに当時、日本では統一教会の若者への勧誘や「霊感商法」が社会問題になっていた。その創始者である韓国人「脱税犯」の釈放を、日本の元総理が現職の大統領に訴えた。
それだけでも異様なのだが、そもそもなぜ岸は、こうした要請を送ったのか。その原点と言える、もう一つの古ぼけた文書がある。日付は終戦間もない1947年4月24日、A級戦犯として牢獄につながれた岸を釈放してくれという要請だった。
作成したのは、東京のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)で諜報や治安維持を担当するG2(参謀第2部)だ。GHQの法務局、国際検察局などへの文書は、巣鴨拘置所にいる岸信介を自由の身にするよう促していた。
〈重要なのは、公式記録では、彼と国家主義または拡張主義的イデオロギー団体とのつながりを示す証拠は全くないということだ〉
〈極東国際軍事裁判での主な戦犯容疑者の訴追は終わったが、岸の満州での活動で十分な証拠がなく、また大政翼賛会での活動も起訴に不十分な場合、G2は、岸を巣鴨拘置所から釈放するよう勧告する〉
日米開戦を決めた東條内閣で商工大臣だった岸が、戦争遂行に深く関わったことはよく知られる。開戦詔書にも署名し、そのため敗戦の年、1945年9月に逮捕され、幽囚の日々を送っていた。
そして、それと同じく検察が注目したのが、戦前の満州での経歴だった。
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