坂本龍一さんの本質とは それは私が出会った頃から最後まで変わらなかった【松武秀樹氏の証言】

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坂本龍一の才能

 だがYMOの人気がうなぎ登りになるにつれ、内部の不協和音も漏れ聞こえるようになった。細野さんと坂本さんの不仲は、ファンなら誰もが知っているだろう。

「とにかく売れすぎました。3人は外すら歩けなくなってしまった。もちろん売れないよりは売れたほうがいいんだけれど、あそこまでは望んでいなかった。だから1981年にリリースしたアルバム『BGM』と『TECHNODELIC』では、『「RYDEEN」みたいな曲はもうやらないよ。これこそが本当の機械の音だよ』というコンセプトを前面に出した。あれでもっと好きになってくれたファンもいるでしょうけれど、離れていった人も少なくなかったと思います。また坂本さんは80年に『B-2 UNIT』というアルバムをリリースしました。僕も参加しましたけど、あのサウンドこそ、当時、坂本さんがやりたかったことでした。今でも全く古びていないですよね。現代音楽を超越している凄さがあります」

 松武さんは坂本さんに多くのことを教えてもらったという。例えば、坂本さんは学生時代、ピアニスト・高橋悠治(84)の勉強会に参加するなどして、現代音楽家のジョン・ケージ(1912~1992)を研究している。

「難解な現代音楽は意外にテクノミュージックと相性がいいと“発見”されたのは2000年代だったと思います。ところが坂本さんは80年代に気づいていた。僕もジョン・ケージについて坂本さんから教えてもらって勉強しました。プロフェット5というシンセがありますが、あれを操作させると教授の上をいく人はいません。『どうやって、そんな音を作ったんだろう?』と不思議に思って質問すると、ちゃんと教えてくれるんです。でも、どうしてそんな発想ができたのかは分からない。作曲家としてだけではなく音のデザイナーとしても、類い稀な才能の持ち主でした」

ピアノの響き

 松武さんにとって細野さんは「お父さん」のイメージが強いという。YMOの中でプロデューサー的な役割を引き受けてきたのは、この記事で見た通りだ。松武さんにとっては4歳年上ということも大きい。

「幸宏さんはカッコいい男、まさにダンディでした。行動の全てがカッコいい。立っている姿やファッションを真似したことがありますが(笑)、全く無理でしたね。幸宏さんはYMOの中では“カルチャー担当”。世の中がどんな傾向なのかという分析は群を抜いていました。SNSで『頭が痛くてたまらないんだ』という幸宏さんの投稿を見つけると、『早く良くなってよ』とメッセージを送ったりしてましたが、僕の願いは届かなかったですね」

 そして松武さんにとっての坂本さんは“理詰めの人”だという。まさに“教授”というあだ名の通りだ。

「細野さんも幸宏さんも、ミュージシャンとして深い音楽の素養を持っていることは言うまでもありません。ただ、2人は理論と感性を共存させていましたが、坂本さんは徹底して理詰めです。音の1つ1つ、コードの1つ1つに理論的な裏付けがある。それだけ理屈っぽいと醒めた音になりそうなのに、坂本さんの生み出したコードの響きはピアノの響きとなって聴衆に届き、みんなを魅了してしまう」

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