坂本龍一さんの本質とは それは私が出会った頃から最後まで変わらなかった【松武秀樹氏の証言】

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ウォークマンとYMO

 デイリー新潮は2月19日、「【高橋幸宏さんを偲ぶ】ピーター・バラカンがジャパン・タイムズの追悼記事に驚いた理由」の記事を配信した。この記事でピーター・バラカンさん(71)はYMOのロス公演を次のように振り返っている。

《「YMOはA&Mに所属していたチューブズ(The Tubes)というバンドの前座としてアメリカを回りました。その時にアルファレコードは雑誌記者を現地に飛ばして、『YMOが世界制覇』、『YMOのアルバムはアメリカで売れている』という記事をいっぱい書かせたんです。でも、アメリカでアルバムは全く売れていなかった。明らかな嘘で、そういう売り出し方が“クサ”かった。それに反発していたんですね」》

 後にバラカンさんは、YMOの歌詞制作などで重要な役割を担う。当時を振り返る貴重な証言だが、やはりバラカンさんほど冷静にYMOブームを見つめていた人は少なかったのだろう。少なからぬ日本人が「逆輸入されたYMO」に熱狂した。

 YMOが海外ツアーを行ったのは、1979年から1980年にかけてだった。ウォークマンや日本車など“メイド・イン・ジャパン”が世界を席巻していた時代だった。

「日本の経済は絶好調で、海外の人も“日本人=勤勉”というイメージを持っていました。だからYMOが欧米の観客を前に演奏すると、音のきめ細やかさなど様々な仕掛けを分かってくれましたね。何しろYMOの曲はコード進行が非常に複雑なんです。音の響きが比類ないところに、シンセの正確なシークエンスと幸宏さんのめちゃくちゃうまいドラムが重なる。一方、YMOのサウンドとは対極に位置するというか、ライブでは『とにかく演奏すればいいじゃん』ってぶっつけ本番でやって、それが魅力というバンドも存在します。でもYMOは、事前に入念な準備をしてから演奏した。欧米の聴衆で、そういう“日本人らしさ”に惹かれたという人は一定数いたと思います」

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