坂本龍一さんの本質とは それは私が出会った頃から最後まで変わらなかった【松武秀樹氏の証言】

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人民服の誕生

 YMOはサウンドだけでなく、そのビジュアルでも注目を集めた。ロスでの公演は有名な赤色の人民服、次のワールドツアーではYMOの文字が印刷された白いワイシャツに黒いズボン、そして赤色の腕章という衣装だった。

「もし今あの人民服を着て演奏したら、大変な批判にさらされるでしょうね(笑)。本当は人民服ではないのですが、YMOのファッション性をリードしたのは幸宏さんでした。ロスの聴衆に与えたインパクトはサウンドだけではありません。人民服姿で『彼らは中国人なのか? それとも別の国籍なのか?』と興味をかき立てた。おまけにロスのツアーでもワールドツアーでも、コスチュームを着こなした坂本さんがキーボードを弾く姿にもインパクトが生まれました。もし幸宏さんがいなかったら、坂本さんがファッションの要素で目立つことは無理だったでしょうね」

 音楽プロデューサーの川添象郎さん(82)は「YMOの生みの親」とも呼ばれる。父親はイタリアンレストラン「キャンティ」(東京都港区)を創業した川添浩史(1913~1970)。1977年、同じく音楽プロデューサーの村井邦彦さん(78)とアルファレコードを設立した。

 川添さんは昨年7月、『象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』(DU BOOKS)を上梓した。その一部をPRESIDENT Onlineが再編集し、今年1月に「アメリカ人の抱く日本人のイメージを逆手にとる…YMOが『無口で無表情』なライブを徹底したワケ」と題して配信した。

 PRESIDENT Onlineの記事で、川添さんは次のように“人民服誕生”を振り返っている。

《ライブ・ツアーの事前の打ち合わせで僕がメンバーに提案したのは、アメリカ人が日本人に対して抱いている典型的なイメージを逆手にとって、日本のアイデンティティとして表現しようというものであった》

《学生服やサラリーマンの画一的なユニフォーム姿に象徴されるように、制服を着用するイメージをもっているだろう、と考えたので、ファッションセンスのある高橋幸宏に相談してユニフォームを作ってもらうことにした》

《高橋幸宏がデザインしたのは、真っ赤な人民服のような衣装だった。サポートミュージシャンとして参加する渡辺香津美と矢野顕子、そしてステージ上の視覚効果も狙って設置したコンピューターのプログラマー・松武秀樹は、黒い制服のようなものを着て出演することになった》

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