YMO「伝説の海外ツアー」を松武秀樹氏が語る BEHIND THE MASKの演奏で重大なトラブルが…その時メンバーはどうしたか

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《メンバーとスタッフのみならず、大掛かりな機材をすべてアメリカまで運ぶのだから、多くの予算を必要とする。アルファレコードの社運を賭けるプロジェクトになった》──YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のファンなら、この証言の意味をすぐに理解するに違いない。(全3回の2回目)

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 音楽プロデューサーの川添象郎さん(82)は「YMOの生みの親」とも呼ばれる。父親はイタリアンレストラン「キャンティ」(東京都港区)を創業した川添浩史(1913~1970)。1977年、同じく音楽プロデューサーの村井邦彦さん(78)とアルファレコードを設立した。

 川添さんは昨年7月、『象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』(DU BOOKS)を上梓した。その一部をPRESIDENT Onlineが再編集し、今年1月に「アメリカ人の抱く日本人のイメージを逆手にとる…YMOが『無口で無表情』なライブを徹底したワケ」と題して配信した。冒頭の証言は、文中から引用したものだ。

 YMOが結成されたのは1978年2月19日と伝えられている。メンバーは、ベースの細野晴臣さん(75)、ドラムの高橋幸宏さん(1952~2023)、キーボードの坂本龍一さん(1952~2023)の3人だった。

 そして高橋さんが今年1月、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため70歳で死去。そして坂本さんも3月、がんのため71歳で死去した。

 2人の死去に伴い、YMOの功績を振り返る記事が今も配信されている。デビュー当時、プロの音楽関係者でも「確実にヒットするサウンドではない」という評価を下していたが、その分析に反してYMOは大ブレイクを果たした。その理由として、2回の“海外ツアー”を挙げる声は少なくない。

 1979年8月2日から4日にかけ、YMOはロサンゼルスの野外ステージ「グリーク・シアター」で、アメリカのバンド「チューブス」の前座としてライブ演奏を行った。さらに6日には、同じくロサンゼルスのクラブ「マダム・ウォン」で単独ライブも開催した。

 79年10月には初のワールド・ツアー「YELLOW MAGIC ORCHESTRA TRANS ATLANTIC TOUR(トランス・アトランティック・ツアー)」を開催。開催地もロンドン、パリ、ニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストンと、まさに世界の主要都市で聴衆を魅了した。

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