YMO「第4のメンバー」が語る“若き日の坂本龍一さん” 出会いは渋谷公会堂のイチベル制作、モーグⅢCを巧みに使いこなした衝撃

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強靱な精神力

 一方の坂本さんは、自身の“死”を前提とした活動を精力的に行った、と言われた。文芸誌「新潮」で2022年7月号から「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載を開始。病状を報告するほか、自叙伝的な記述が話題を集めた。

 23年1月には約6年ぶりとなるオリジナルアルバム「12」を発表。2月には《唯一の「音楽活動の記録」》と銘打たれた「坂本龍一 音楽の歴史:A HISTORY IN MUSIC」(吉村栄一・著、小学館)、3月には「音楽と生命」(福岡伸一との共著、集英社)が出版された。

 中でも注目を集めたのは、22年12月に配信したピアノコンサートだった。今年1月にNHKが「坂本龍一 Playing the Piano in NHK & Behind the Scenes」を放送すると、さらに関心が高まった。坂本さんがピアノを弾く姿が白黒の映像で流されたが、病状の悪化は一目瞭然で、多くの視聴者が衝撃を受けた。

「坂本さんの場合も近くにいる人から病状について聞いていて、『容体は少しずつとはいえ、よくない方向に進んでいる』ことは理解していました。年末の配信は見ましたが、『もういいじゃん、みんな坂本さんの病状は分かっているよ』という気持ちでいっぱいになって、涙が止まりませんでした。今でも見返すと泣いてしまいます。とはいえ、坂本さんが死の直前に最後のコンサートを配信し、アルバムをリリースし、著書も出版するという完璧な流れを振り返ると、まさに“教授”という名に相応しい最期だったと思います」

ワインと日本酒

 死後、坂本さんの苛酷な闘病も注目された。デイリー新潮は4月7日、「6度のがん手術、放射線治療…『坂本龍一さん』逝去、医療関係者がショックを隠せない理由」の記事を配信した。

「たった1年で6回のがん手術を受けたわけです。おまけにその間も放射線治療と抗がん剤の服用を継続していた。どれだけ大変だったか、誰でも分かりますよね。僕なら耐えられない。体重もどんどん落ち、力も入らなくなっていく。にもかかわらず、ピアノを弾く姿を映像に残した。坂本さんの精神力がいかに強靱だったか、何よりも雄弁に物語っていると思います」

 YMOのメンバーで松武さんが最初に出会ったのが坂本さんだった。生年も松武さんが1951年8月、坂本さんが1952年1月と“同学年”。YMOの活動が実質的に終了してからも交流は続いた。

「2007年、坂本さんが森林保全団体の『more trees』を発足させた時も協力を要請され、二つ返事で引き受けたんです。毎年、活動内容を報告するために坂本さんは日本に帰国するんですが、その時は僕も必ず出席していました。森林整備で生まれた間伐材を使って枡を作り、日本酒を入れて乾杯した時の写真は、今でもスマホに保存しています」

 松武さんは日本酒を愛飲しているが、坂本さんからは会うたびに「まだお酒を呑んでいるの? 身体に悪いから止めたほうがいいよ」と言われていたという。

「幸宏さんは52年6月の生まれだから、僕より1学年下。幸宏さんはワインが大好きでしたが、体調には常に気を配っていて、健康に関する知識も豊富だった。そんな坂本さんと幸宏さんが先に亡くなってしまって、今でも日本酒を呑んでいる僕が生きているというのは、なんと表現したらいいのか分からない気持ちになってしまいます」

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