長嶋茂雄が試合以外で見せた“異能” 「天気予報」は本職顔負け、川上監督も「さすがだねえ」と感心

スポーツ 野球

  • ブックマーク

「絶対あのままじゃすまさんぞ」

 週刊誌の心ない記事への怒りを試合で爆発させたのが、1965年6月23日の大洋戦である。翌24日付の報知新聞によれば、試合前、亜希子夫人との夫婦仲について根も葉もないことを週刊誌に書かれた長嶋は「くだらないことばかり書きやがって。売らんかなにしてもひどい。オレは絶対あのままじゃすまさんぞ」と憤慨した。

 この怒りがバットに乗り移ったのか、いざ試合が始まると、長嶋は初回に左越え2ランを放つなど、5打数3安打3打点と大暴れだった。

 だが、それから2日後、夫人のおめでたが明らかになり、来年1月末に出産予定であることを知ると、大阪遠征に出発する長嶋は、いつもギリギリにやってくる移動の新幹線のホームに40分も前に姿を現し、「あと7ヵ月先のことでもじっとしていられない」とそわそわしっ放しだった。翌年1月26日の結婚記念日に誕生したのが、のちにヤクルト、巨人でプレーした長男・一茂である。

 68年6月13日の大洋戦では、10日前に生まれた次女にこの日「三奈」と命名したばかりの長嶋は、0対4の6回に中前に追撃の2点タイムリーを放つ。実は誕生日の6月3日(阪神戦)も「ウン、狙っていたんだ」と6回に右越え17号を放っており、10日前の祝砲に続く良きパパぶりだった。

 ところが、次打者・末次民夫のときに二盗を試みたまでは良かったが、右飛に倒れたことにまったく気づかず、スライディングで盗塁成功と思い込み、ベース上に立ったまま。

「戻れ!」と牧野茂コーチが合図すると、長嶋は一瞬三塁に走り出そうとする勘違いまで演じ、結局帰塁できず併殺に……。愛娘のために張り切り過ぎたことが“勇み足”を招く結果になった長嶋は3対7の敗戦後、「今日のオレは完全にノックアウトでした」と頭からタオルをかぶって帰っていった。

「マキさん、いいよ。オレが払うから」

 最後はいかにもミスターらしい“天然エピソード”を紹介する。現役最終年の74年5月頃、試合を終えた長嶋は、牧野茂コーチとともに、知人の運転する車で自宅に向かった。

 ところが、自宅の前で降りる段になって、長嶋は何を思ったのか、「マキさん、いいよ。オレが払うから」と言いながら、千円札の束を取り出した。「最初は何を言い出したのかと思った」と目を白黒させた牧野コーチだったが、ややあって、タクシーに乗っていると勘違いしての行動と気づき、「わかった途端、笑いが止まらなくなった」という。

 また、72年5月10日のヤクルト戦の試合前、ロッカー室でスパイクを磨く布切れを探していた長嶋は、隣の黒江透修のバッグから顔をのぞかせていた布を見つけると、すばやく手に取った。直後、黒江は言った。「チョーさん、それは僕の靴下ですよ」。

 こんな思わずクスリとさせられるハプニングがあったときは、なぜかバットも好調で、この日の長嶋は犠飛とタイムリーで2打点を挙げている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。