佳子さまのご両親への“決別宣言”の背景に眞子さん? 「分室をお守りする覚悟」【スクープその後】

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ご両親への“決別宣言”

 とはいえ、それは必ずしもポジティブな“ご決断”ではないという。

「佳子さまが“お一人暮らし”を選ばれたのは、決して『公務にまい進し、女性宮家創設に備えて独立したい』といったご意思からではありません。むしろお気持ちは正反対で、『いずれは出ていくのだから、それまで公務以外は好きにさせてほしい』とのお考えでいらっしゃるのです」(同)

 すなわちご両親への“決別宣言”ともいえよう。が、前出の山下氏は、こう指摘するのだ。

「秋篠宮邸は、皇嗣家として『東宮御所』と同程度の規模と機能を有するものとして改修されました。ですから基本的には宮邸にお住まいになり、行事や接見などもそちらでなさるべきです。ところが実際には、御仮寓所にも当面は私室の機能を残すことになっており、また大人数でない人たちとの接見などでも、宮邸に隣接する共用殿邸の赤坂東邸を頻繁に使っておられます。宮邸を東宮御所並みに整備したのはどういうことなのか。もう少し国民に対して説明すべきだと思います」

 それにしても、かくも深き親子間の溝――。いっこうに融和の兆しがうかがえないのは、

「眞子さんだけでなく、ご自身の結婚にも秋篠宮ご夫妻が大々的に介入してくるのでは、という危惧を佳子さまが強く抱かれているからなのです」(秋篠宮家の事情を知る関係者)

 そこには、こんな経緯があったという。

「14年5月、出雲大社の禰宜(ねぎ・当時)だった千家国麿さんと高円宮家の次女・典子さんとの婚約が決まった時のことです。紀子さまはひと言、周囲にこう漏らされていました。『秋篠宮家は高円宮家よりも身位が上ですから、娘のお相手も、出雲大社を上回る家の方でないと……』と」(同)

 もっとも当時、眞子さんはすでにICUを卒業し、前年暮れには小室圭さんからプロポーズを受け、承諾していたのだった。悲願の“出雲越え”がかなわなかった紀子妃はその後、残る佳子さまに照準を合わせてこられたといい、佳子さまに交際相手の気配があれば直ちに伝えるよう、側近や皇宮護衛官らには徹底させておられているという。

週刊新潮 2023年3月2日号掲載

特集「軋む皇室 『天皇誕生日』に水を差す 『佳子さま』秋篠宮家からの“独立”劇」より

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